犬鳴探偵事務所 5

3月1日金曜日晴れ

待望の弥生三月、冬来たりなば春遠からじ。とは良く言ったものだ。首をすくめて厚着をしていれば確実に爛漫の春はやってくる。これからの9ヶ月は僕の季節である。ゴルフのスコアもきっと上昇するはず。今月17日のサンサン会はハンデ的にも優勝だろう。と言って、競馬を僕から買わせて何時も皆を裏切っている。(笑)
今朝は一段と暖かくのんびりと散歩した。最近良く食べるタイちゃんは待ちきれずに、部屋のトイレで大を一回したらしい。それなのに表に出た途端立て続けに三回もした。朝ごはんを食べて少し横になって事務所へ。仕掛の仕事が一段落し全員集合。4日からまた1週間千葉県で尾行調査が始まる。12時、彼らはランチに行き、僕はこのブログを書いている。----

犬鳴探偵事務所 5

仲介する不動産屋から「物件を見てくれ」と言われてもう何ヶ所も見た。その中で僕が気に入ったものがあれば、申込書を提出し、場合によってはオーナーと面接もする。しかし、そのいずれもことごとく断られた。理由は(業種が悪い)のだという。

2~3年前から犬鳴のところに知らない探偵社から頻繁に手紙が来るようになった。何だろう?と思って読んで見ると、自分たち仲間で作っている協会に入れという内容で、どうやら我が国には3っつの任意団体が出来ているようで、「日本探偵協会」「日本総合探偵社協会」「全国探偵協会」など、みな似たような名称で同業者を募っているようだった。今までは、群れることを嫌って見向きもし無かった犬鳴だが、心境の変化で、(彼らはどんな連中で、いったいどんな仕事をしているのだろうか)という興味もあった。

そんな或る日、僕が修行した探偵事務所の元同僚で、千代田区一番町に事務所を構えている柏原という男が、「ワンちゃん、東京都調査業協会ってえのが出来るらしいから一緒に行って見ないか」と、誘ってきた。ちょうど暇をもてあましていたところで、(いいよ)と応じると。「じゃこれから行こう」と言う。柏原が言うには、今日の午後1時に初会合が開かれるらしい。随分急だな。と思ったが、そういえばそんな内容の案内状が来ていたことを思い出し、柏原に同行し、皇居の近くにある「半蔵門会館」に行った。4~50人くらい来ていただろうか、中には何となく見知った顔もいて、名前だけは聞いたことのある大手の社長も交じっていた。柏原は少し前から関わっていた様で、新参の犬鳴を皆に紹介してくれた。驚いたことに、それらの人たちのほとんどが、犬鳴の事務所を知っていた。中には、「あの有名な犬鳴さんですか」などと言いながら握手を求めて来たりした。犬鳴も他愛ないもので、(宜しくお願い致します)と言って、すぐに入会した。

そうこうする内に、警視庁(東京都は警視庁の指導を受けるらしい)が関わってきた。(場合によっては業法を作ってやるから纏まりなさい。)と言われ、その日の会合は、議題の一つに、協会設立に向けて役員の選出もあり、池袋に事務所のある「ホンダ探偵事務所」の所長の推薦で、柏原とともに理事にされてしまった。
この少し前、警察庁の指導で、全国の3団体がまとまり、日本調査業協会が発足してをり、本部事務所を千代田区飯田橋に置いていた。「東京都調査業協会」は、下部組織の一つとして、当面、日本調査業協会の事務所に居候することが決まった。日本は、元、丸の内警察署長の木村正一氏、東京は、渋谷区千駄ヶ谷の探偵社テイタンの社長、廣島澄雄氏が就任する。

まさに、業界が一気に「正業」として世間に認知されようとしている時期であったが、四大新聞は探偵社の募集広告の掲載を拒否、犬鳴のように事務所を借りようとしてもことごとくノーと言われる有様だった。困り果てた犬鳴は、その頃には、三日にあげず事務所に顔を出していた井口夫人に事情を説明すると、「じゃあ、私が持ってるブティックの会社名義で借りよう。借りてしまえばこっちのものよ」と、アドバイスされ、そのまま正直に不動産屋に告げると、「あぁ良かった。それなら問題ありません。借りた後、看板を変えればいいんですよ」ということで、晴れて事務所の移転に至った。新しい事務所は新宿二丁目、まだコンクリートがむき出しになっている新築ビルの4階、35坪を敷金2400万円、家賃80万円で契約、「日本一の探偵社をめざしなさい」と言う井口夫人の言葉に沿って、床は特上の絨毯を敷き、犬鳴の机や本棚、調査員の机や椅子に至るまで小田急ハルクで揃え、5000万円を要した。-----