犬鳴探偵事務所 41

探偵日記 4月23日火曜日晴れ

四月も実質的にはあと4日しかなくなった。例年そうなのだが、この頃の事務所は暇である。毎日ぼんやりと過ごすことが多い。前社長の娘に「もう少し営業に力を注いでもらいたい」と言われた。併設している、東京調査業協同組合(平成9年、都に認可された)の実質上の責任者として、消費者センター、警察、区役所及び市役所を巡回せよと言う。古希を迎えた老人に。まあ、それは別にして、何か、犬鳴じゃあなかった。TDAという探偵事務所が存在することをアッピールする必要はあるだろう。これまで僕の交友関係や、事務所の実績に胡坐をかいた経営というか、営業で推移してきた。近年、頼みの綱ともいえる弁護士事務所もぱっとしないようで、「出してあげたいんだけど案件が無いんだよ」と言われれば、さもありなんと思う。押しなべて世間の景気は我々サービス業にはアゲンストの風が吹いているようだ。
というわけではないが、4月1日、代表が、娘から長男に交代した。今日は、その事を正式に発表するべく、内々だけでささやかなパーティを催すことになっている。思えば、僕が神田駅前に小さな事務所を開いた年に生まれた長男が三代目(実質的には二代目かな)の代表取締役社長となる。老後は、社労士の娘と、この長男に食べさせてもらわなければならないが、果たして、期待通り成長するかどうか、楽しみでもあり、大いに不安でもある。昨日、その息子に、(部下の調査員を愛せ)と助言した。その意味を理解したかどうかも分らないが、まだ41歳である。僕はその年には20名以上の調査員を抱え、東京でも大手と言われていた。時代は移ろい今の業界は真冬の厳しさで、悪い時期の交代となったが、それだけにやりがいがあろう。そう思って頑張ってもらいたい。

今朝もタイちゃんに5時に起こされ散歩に出た。医者に(糖尿病)を宣告されてから、ビールを控え、食事の量を極端に減らしたおかげで、朝の目覚めが楽になった。今まで、40分ぐらい歩くと少し疲労を感じていたが、今日など70分歩いても特別疲れた印象は無かった。勿論、タイちゃんも大喜びで、気の向くまま、足の向くまま、嬉しそうに尻尾をふり振り、ピョンピョン飛ぶ様に歩き、6時半帰宅した。朝ごはんを食べて、9時30分、事務所へ。

犬鳴探偵事務所 41

池辺に指示した調査の結果、手入れを食った池袋店以外は総て営業されていた。しかもなかなか盛況だという。これらの写真と偽オーナーの顔写真を撮って依頼人に見せる。黙って見つめていた真のオーナーこと依頼人は、「犬鳴さん、I会にものが言える人は居ませんか?こうなったら戦争です。向こうもせっかく手に入れた金脈を簡単に手放す筈は有りません。お金はいくらかかっても構いませんから全部取り返してください。」と言う。この世界のこのような場合、警察や裁判所は関係ないらしい。卑怯な手段で乗っ取られたものを力ずくで取り返せ。と言う。もう常識では割り切れない世界に犬鳴は入り込んだようだ。新宿で20年探偵事務所を経営している犬鳴は、警察もヤクザも山のように知っている。ある意味、この依頼人は適材適所に適った探偵社を選んだともいえよう。ヤクザでもない。勿論、役人でもない。犬鳴はヤクザのように無法者でもなく、役人みたいに法に縛られることもない。ただ、ギリギリのところで行動できる。下命する側にとってまことに都合のいい、使い勝手の良い男であり、集団だといえた。

東京池袋に「大日本関東軍」という右翼団体がある。首領は「高柳亮太」実父はS会系の某組の重鎮である。この人は、経済ヤクザで、頭も切れた。後に、上場企業を乗っ取り社長に納まった。その息子が、父に憧れヤクザになろうとしたが、父親は、「これからはヤクザの時代じゃない」と言い聞かせ、彼が大学を卒業するや僅かな金を持たせて旅に出した。(とにかく、自分で稼ぎながら世界を一回りして来い)と言ったらしい。彼は、父親の言いつけをしっかり守り1年数ヵ月後帰国して、母校の同窓生や後輩を募り、政治結社(右翼団体)を結成した。何しろ、彼の母校と言えば、卒業生の就職先が、暴力団か自衛隊または警察と言われるぐらい、頭脳はともかく喧嘩だけはめっぽう強いことで有名な大学だった。集まった隊員も強者ぞろいで、仮に、ヤクザになれば間違いなく数年で幹部になるだろう。

犬鳴はひょんなことで知り合った高柳に連絡して、某日、新宿三丁目の喫茶店「ゴロー」で会った。余談ながら、この喫茶店は、犬鳴が毎日訪れる雀荘に近く、店名が自分の名前と一緒ということもあって、良く利用している店だった。毎度のことながら高柳は10名ぐらいの隊員を連れてやってきた。喫茶店ゴローは、我々だけで半分ぐらい占められる。それは良いとして、いずれも一目見てそれと見間違う男ばかりである。他の客がちょっと覗いて怖そうな顔をして帰ってゆく。しかし、本題に入ると隊員たちは離れた席に移動して、静かにコーヒーを飲んでいる。「お久しぶりです。」高柳が年長者の犬鳴に丁寧に挨拶する。少し前、法廷に立つ依頼人の警護を頼んだことがあって、気心は知れていた。(隊長、今度はI会が相手なんだけど、隊長も良く知ってるあいつの元女房が悪さしてるんだよ。)と言って、犬鳴の依頼人が経営している風俗店を件の女性に乗っ取られた話をした。蛇の道は蛇である。高柳は犬鳴の話をちょっと聞いただけで、「面白そうですね」と破顔した。ーーーーーーーーーーーーーーー