犬鳴探偵事務所 42

探偵日記 4月24日曇りのち雨

今日も事務所に一番乗りである。というのは、事務の高子がお休み(彼女は社労士を目指し猛勉強中。毎週水曜日はお勉強の日にしている)他の女性も所用で遅れると言うので、仕方なく僕が9時過ぎには事務所に着いた。調査員らは、総勢早朝の張り込み。ご苦労様と言いたい。
4月もあと1週間で終わり、僕は、27~28日から、片道1100キロのドライブ。山口県下関の実家(と言っても身寄りは誰も居ないが家だけはある)に帰る。待っていてくれるのは、幼友達と裏の畑に出没する猪の親子。特に子供のウリ坊が可愛い。タイちゃんも広いベランダとダイニングで走り回れる。5月5日、こどもの日に帰京の予定。

犬鳴探偵事務所 42

高柳と、相手の女性やそのバックの連中を話し合いのテーブルに引っ張り出す方法について打ち合わせる。法的とか常識の通じない相手であり状況だった。(どうする?)「そうですね。取り合えず歌舞伎町の店で暴れさせますか」高柳の考えは、隊員の若衆を客に仕立て、何でもいいから文句をつけて喧嘩沙汰にし、棄て台詞で、(人の店を勝手に営業してとんでもない。責任者を呼べ)と言って騒げば、その女かナンバー2が出てくるはずだ。という、少々乱暴な手法で、仮に警察沙汰になればなったで、その時考えよう。と言う。二人の一致した意見は、(向こうも警察に駆け込めないだろう)というものだった。

分ったそれで行こう。と決まり、高柳に(当面の軍資金だ)と言って、1000万円渡し、対象の店について、店長や名前だけの社長を特定し、その夜の行動を監視する役目は犬鳴の事務所が引き受けた。案の定と言うか、想像通り女性のバックが、高柳に(会いたい)と言ってきた。日時が決まり、場所は京王プラザホテルのラウンジになった。向こうもこちらの事を調べたようで、丁寧な物言いだったようだ。その筈である。高柳自身も売り出し中のイケイケで、その実父はその世界で知らぬ者の無い大物だ。仮に全面戦争になれば、関東のS会を相手にしなければならない。首謀者の女性は、I会系の幹部の関係者とは言え、(元、妻)である。その幹部には、現在、若くて美人が女房に納まっている。相談を持ちかけるほうも、される方もいくばかりかの恩讐があるはずだ。

その日が来た。朝からホテルの周りは異様な雰囲気に包まれている。高柳と犬鳴はちゃんとしたスーツ姿だが、30名以上居る隊員は皆戦闘服を着ていた。それらがラウンジやロビーのあちこちにたむろし、いざと言う時に備えている。やがて4人の、見るからにそれと分る男たちが現われ犬鳴の前に座った。まず高柳が仁義を切る。相手の頭と思われる男も名刺を出して名乗った。関西の某巨大組織の枝で、東京に進出しているある組の人間だった。I会系の人間が出てくるとばかり思っていた犬鳴と高柳は少々勝手が違った。相手が言う「あの店のケツもちが私のところってご存知でしたか?」と言って威嚇する。向こうは向こうで、下手をすると神戸を相手に喧嘩することになりますよ。と、暗に仄めかしているのである。
今度は高柳が不敵な面構えで言う。(勿論承知していますよ。店で暴れた落とし前はきっちりつけさせてもらいますから、あの店を含むSグループの全店を返してもらいたい。まあ、今日までの凌ぎは目をつぶりましょう)そう言うと、相手はちょっと怪訝な表情をした。犬鳴は、(ああ、こいつら事情を知らずに今度のことだけで出てきたんだな)と察し、(隊長、ちょっと俺から説明させてくれよ)と断って、その男に名刺を渡し、(今日はご苦労様です。まあ折角出てきてもらったんで子供の使いにはしませんから私の話を聞いてください。)と、前置きをして、これらの店は本来Sグループの経営で、事情があって責任者が不在の時、貴方の依頼人が横取りしたもので、大ごとにするとみなさんの面子と言うか、今後の凌ぎに差し支えると思う。だって、歴としたヤクザ者が泥棒の手助けをしたんじゃあ恥じでしょう。と言って、男の顔を(それでもうだうだ言うんなら懲役をかけてやるぞ)と言うぐらいの気迫で見つめた。

これで勝負あった。面構えは一級でそれなりのヤクザであろうが、如何せんややお頭が働かないようで、犬鳴に返す言葉も見つからない風情で他の連中と顔を見合わせている。「分ったあんたの話を持ち帰って依頼者と相談します」最後はバカ丁寧な言葉で、それでも肩を怒らせてラウンジを出て行った。

西が出てくるとは思わなかったですね。高柳も面食らったようだったが、このまますんなり返してくるとは思えず、(何か動きがあったら連絡する)ということでこの日は別れた。
翌日、昨日の男から電話がかかり、「本部の偉いさんが犬鳴さんに会いたって言うんだけど」と言ってきた。犬鳴は面倒なことは早いほうがいいと考え、昨日のホテルで良いか。と言うと、「結構です」と言う。じゃあ今夜8時に。という約束をして、すぐに高柳に連絡する。高柳は「じゃあ自分も同席する」と言うのを、(いや、今夜は俺一人で話を聞いて来るよ。向こうも、俺の後ろにあんたが控えているのは割分っている事だし、まあ、あんまりこじれるようなら頼むよ)と応え、高柳も「歌舞伎町で飲んでますから何時でも連絡下さい」と言う。

犬鳴は、この日、昨日の男が所属する組を調べてみた。新宿警察の刑事にもチラシ(暴力団の分布図のようなもの)を見て貰い、神戸の本部との位置関係や、四国の組本部の勢力等を教えてもらった。この頃にしては珍しくシャブ(覚せい剤)を扱い資金力は豊富で、どちらかというと戦闘的な集団ということも分っていた。

今度は高倉健みたいな奴がやって来た。比べてみると、一緒に来た昨日の男が小さく見えた。名刺を見ると(若頭)と書いてある。一般の企業でいえば専務というところか。犬鳴も丁寧に挨拶し、(こんな偉い人にわざわざ出張ってもらってすみませんね~)と言う。聞きようにとってはちょっとおちょくられたと思うかもしれない。しかし、若頭はなんでもないように笑って、「探偵さんも大変だね。こんな事も仕事のうちなの」と聞いてくる。犬鳴は(いいえ、まあ成り行きって言いますか僕も頼まれると断れない性分で)と応じる。

若頭の言い分はこうだった。自分のほうの依頼者は(ある時、Sグループのオーナーと知り合い、毎月の報酬800万円でコンサルタント契約を結んだが、最初の一か月分を呉れた後、知らん顔をされた。それで、ちょっと面白くなく思っていたところに、今回の摘発騒ぎで全店閉めてしまったので、コンサルタント契約に基づいて営業を代行しているのだ。したがって、盗んだの、泥棒だの、って言われる筋合いではない。)と言っているという。ふ~ん。上手い口実を考えたなあ。こんな輩に、じゃあコンサルタント契約書を見せろ。などと言っても通用しないだろう。彼らの世界は、言った言わないで十分通じるようだ。余談だが、犬鳴の友人が暴力団員の経営する金融会社から300万円借りたことがある。その時、犬鳴が同行したことで(お前が保証した)と言われ、友人が夜逃げしたため事務所に乗り込まれた経験があった。とにかく、理屈や常識が機能しない世界なのだ。

(そうでしたか。貴方の言うとおりなら、コンサルタント契約が実在すれば法的に違約金の支払い義務が生じるでしょうし、仮に、そんなものが無くても道義的にはその女性のおっしゃることに一理ありますね。じゃあどうでしょうか、お店を返して貰う条件を詰めて頂けませんか)Sグループのオーナーには、確かにそういう面が多々あった。これまで、基本的には、犬鳴との約束は違えないが、言うことがころころ変わる傾向があり、犬鳴のほうで準備していたにもかかわらずキャンセルされたことも再三だったのだ。勿論、若頭にはそんなことは言わなかったが、その女性が、作り話をでっち上げてヤクザを利用しようとしているのかもしれなかった。この日は、(お互い情報を確認し、また会いましょう)ということでお開きとなった。1時間余りの会談だったが犬鳴はどっと疲れた。歌舞伎町で飲んでいる。という高柳に連絡して、彼らと合流する。ああ、今日も散財しなければならないなあ。と、ちょっぴり反省したが、費用はたっぷり預かってある。-----------------