犬鳴探偵事務所 37

探偵日記 4月18日木曜日晴れ

昨夜は、A新聞社の女性記者、週刊誌のほうの記者と食事をした。なかなか面白い情報を聞いたがオフレコだと思うのでここでは書けない。その後、およそ半年ぶりに歌舞伎町のクラブに行った。ママとは十数年来の顔馴染みである。彼女が自分で店を持つとき、(こんな時期にやめとけ)と言って反対したが、もう12年続いているという。月並みではあるが、継続は力なりとは良く言ったもので、それなりに常連客も付いているようで、お給料日前の水曜日なのに満席になり、(悪いけど帰ってくれ)と言われ、もうそろそろ。と思っていたので快く退散した。当時は、まあまあだった美人ママも寄る年波に勝てずだいぶんくたびれていた。人のことは言えないけど(笑)

そのママとも顔見知りで、僕が比較的親しくしていた女性が、寂れ行く日本に見切りをつけ母国に帰り、何とその後、ベトナムに渡り現在ハノイ大学に留学中とのこと。そして、かの国で僕のブログを読んでいるらしい。機械オンチの僕には信じられない通信技術の進歩である。だんだん世界も狭くなる。

今朝は、5時に起きてタイちゃんの散歩に行き、朝ご飯を食べて事務所へ。午後2時に、新しい依頼人が来所の予定。妻の浮気とか。これも僕には信じられない現象である。女性が強くなったのか?はたまた、馬鹿になったのか?

犬鳴探偵事務所 37

女性と別れて家に帰る車の中で考えた。ヤクザの話を聞いて、山吹色の感触を覚えた犬鳴だが、今度の仕事は、これまでの通り一遍の事件とは異なり、ちょっと面白くなるかもしれない。バブルを経験した身に500万円はさほどの額とは思わないが、何だかもっと奥が深い気がした。

翌朝、まだ犬鳴がベッドで夢を見ている時間にその依頼人から電話が入る。「あ、犬鳴さん。昨日はお疲れ様でした。今日お昼ごろお会いできませんか」と言う。昨日の今日で、少し胸騒ぎがしたが、(分りました。何時に何処へお伺いすれば宜しいでしょうか)と応える。依頼人は少し考えるようにしてから「じゃあ、目白のホーシーズンで午後1時に」と言って電話を切った。昨夜は帝国ホテルに泊まっていたはずである。それが今日は目白か。しかし、依頼人のことをあれこれ詮索してもしょうがない。探偵の犬鳴にとって、刺激的な仕事をして適正な報酬を得ればいい。しかし終わってみれば、今回の仕事は刺激が強すぎて、なお且つ報酬は想像以上のものだった。

午後1時、犬鳴は結婚式等で有名な椿山荘に併設して開業したホーシーズンホテルのロビーに居た。少し遅れて、妙に周囲を気にしながら依頼人が現われ「ここではゆっくりお話が出来ないので部屋にいらっして」と言われる。犬鳴は日頃、顧問弁護士から(犬鳴さん。依頼人とは絶対個室で会わないように。その人が貴方と別れて、犬鳴という探偵に脅された。と言って警察に駆け込まれたらアウトだよ。何故ならば、そんなことは言ってない。といくら抗弁しても、普通の人と探偵では分が悪い)というのが弁護士の意見であった。そのあたりは、犬鳴きも十分承知していて、危険を感じた場合は胸のポケットにテープレコーダーを忍ばせている。
命じられるまま依頼人に伴われ部屋に入る。今日も依頼人は一人で、最初の夜一緒に居た男は見当たらない。やがて、ルームサービスのコーヒーが運ばれ依頼人の話が始まった。

「ねえ、犬鳴さん。警察にお知り合いいらっしゃる?」(ええまあ)「ご相談なんですが、私が指名手配されてないかどうか調べていただけないでしょうか」(分りました。伝を使ってやってみますがオーナーの本名と生年月日をお聞きすることになりますよ)「ああ、そうでしょうね。ところで、お礼はいかほど差し上げればいいんでしょうか」犬鳴はちょっと考えた。顔見知りの刑事は沢山居る。ただ、署轄外の事件である。それほど簡単ではないはずだ。ただ、彼らは数年置きに転勤があり、また、警察学校の同期や同じ土地の出身で親しくなっている者も居るだろう。そんなことを思い巡らせ、いくらって言ったらいいかなあ。と、逡巡していたら、「3000万円でいかがでしょうか」と言ってきた。オイオイちょっと桁が違うんじゃあないの。と思った犬鳴だったが、勤めて平静を装い(承知しました努力してみましょう)と応じる。

だらしないことに、犬鳴はその夜なかなか寝付かれなかった。依頼人は、「じゃあ明日従兄弟に持って上がらせます。何卒宜しくお願いします。」と言っていたが、本当に持ってくるだろうか。何だか感覚のずれている女性だから、一晩寝て気持ちが変わったりしないだろうか。それでもうとうとしたらしく、定刻にぼんやりと起きだし、それでも朝ごはんはしっかり食べて、期待と不安が交差する複雑な気持ちで防衛庁前の事務所に向かった。-----------