犬鳴探偵事務所 20

探偵日記 3月26日火曜日晴れ

最近は、歯抜けばあさんになった、文字通り愚妻に付き合って、特別にやわらかい食事を作ってくれる阿佐ヶ谷で一番素敵なお店「えん家」で晩御飯を食べた。比較的すいていたが、有名なシャンソン歌手の「塚越陽子」さんが来ていて、幸運にも一緒にお喋りしながら頂いた。糖尿病の僕は色々気にしながらビールのあと、焼酎を2杯、さんざんつまんだあと、よせばいいのに、親子丼を注文する。今夜の食事で1週間ぐらい寿命がちじまったかもしれない。これから食べたいものを制限され、病気が進行すると自分でインシュリンの注射を打たなければならなくなるらしい。ああ、嫌だ。
何て言いながら、今朝の食事も美味しく頂き、食後に、お砂糖を振り掛けて、果汁たっぷりのグレープフルーツを食べ思い切り糖分を摂った。

犬鳴探偵事務所 20

ホテルオークラの一番広い宴会場を借りきり、「社団法人日本調査業協会」の設立パーティが開催された。犬鳴達理事は白いばらとネームプレートを付けホスト役を務め会員の同業者や招待客を迎える。皆の顔は上気し、酒を飲んでいないにもかかわらず赤くなっている。犬鳴はそっと会場を見回し、池袋の探偵事務所の所長の姿を探した。居たいた。黒いモーニングを着て走り回り、誰彼と無く挨拶を交わしている。もしかしたら、この会場の中で一番喜んでいるのは彼じゃあなかろうか。犬鳴は、彼に対する風評を反芻しながらそう思った。噂では、彼は、元ヤクザで、大阪の老舗の某組の幹部だったとか、前科11犯というから半端なヤクザではないだろう。浅黒い顔に金壺眼、髪をオールバックにして運転手付きの高級車にふんぞりかえって乗っている様は、どっちから見ても現役のそれであった。犬鳴はそんな彼を尊敬はしないまでも好感を持っていたし、ある意味に於いて認めていた。主管が警察庁ということもあり、会員の中に、さすがに現役のヤクザはいなかったが、元、や、まがい。は一杯居た。このころまでの「探偵」は、それで罷り通った時代だったような気がする。

まず、会長が挨拶し、その後、来賓が祝辞を述べた。主管のキャリアであろう、若い課長職の人物が簡単に話した後、名前は忘れたが自民党の代議士が乾杯の音頭を取って、その後、名刺交換や主だった来賓の挨拶が続き、飲食が始まった。犬鳴達ホストは控えめに飲み食いしながらにこやかに立っている。(さあこれで大手を振って仕事が出来る)というのが、業者全体の感情で、次は業法を作ってもらうんだ。と、意気込んでいた。
やがて、閉会となり、犬鳴達ホストや親しい業者が残って慰労会のような雰囲気になった。みんなは、前科11犯を中心に集まり労をねぎらう。誰ともなく、「00さん、ご苦労様でした」と言った途端、11犯が号泣する。よほど嬉しかったのだろう。世間の裏街道を歩く人生から、胡散臭さはあるものの「探偵」という堅気の職を得て、今まさに、その職業が正業として認められ、その功績の一端を担ったのである。

なにしろ、日本調査業協会の会長は、察庁のOBのK氏。彼は、愛宕や丸の内で署長を勤め、定年後、我々の業界に転じた。といっても、誰かが担ぎ出したお神輿である。他にも、元、埼玉県警の本部長、元、警視庁1課長らが、協会の要職に就いていた。犬鳴が理事を務める東京都調査業協会の会長だけが民間人で、千駄ヶ谷に本社を持つ、テイタンの社長、廣島澄雄氏が就任した。とにかく、察庁のOBというだけで有難がる風潮があり、後に、会長となるTなど、外事に数年間在職しただけの人だった。権力とか肩書きに何の関心もない犬鳴は、苦々しくも覚めた気持ちでいたが、まあそれで主管との関係が上手くいくのなら。と、そんな協会のありかたを半ば認めていた。主管にしてみれば、探偵にお墨付きを与えることは(気違いに刃物)を持たせるようなもの。と思っているだろう。その証拠に、この日、「近々、業法を」と言っていたのも拘わらず、実際に法律が施行されたのは、それからおよそ20年を経た。主管から、「警備業法を下敷きにして勉強して置いて下さい」(警備業法は、ガードマン達の殺人とか窃盗事件が頻発したため、急遽制定した法律で、随分前に施行されていた)と言われた協会は、協会内に(法務研究会)みたいなものを作って勉強したものだ。

犬鳴探偵事務所は、25~6名を抱え、都内の同業者の中でも大手と言われるようになった。いきおい、協会内での犬鳴の発言は重く受け止められるようになり、自然な形で(犬鳴派)みたいなものが形成された。或る時、派内の主だった者の一人が「ワンちゃん、ちょっと相談があるんだけど」と言ってきた。彼は、年齢こそ犬鳴と同じだったが、探偵としての業歴は浅く、調査能力もいま一つだった。ただ、豪腕で、一旦言い出したら引かない男子の覇気のようなものが感じられる人物だった。協会内で、犬鳴とは特に気が合い、ゴルフや麻雀、また、夜になれば毎日のように歌舞伎町に繰り出した。その日、新宿の喫茶店でコーヒーを飲みながら、その男が囁いた相談の内容を聞いて、何でも有りの犬鳴もう~んと言って絶句した。ーーーーーーーー