犬鳴探偵事務所 7

3月04日月曜日晴れ

散歩に出ると体を冷気が包み込む。今日は少し寒いかな、と思ったが、やはりもう春なのだろう少し前までとは違って、気持ちの良い寒さだった。陽が長くなったからタイちゃんも早く目覚める。そして僕も仕方なく早起きすることになり、今朝は5時半起床、45分に外に出た。朝ご飯の後、もう少し寝たかったが気を取り直して事務所へ。

犬鳴探偵事務所 7

真新しい事務室とマイルーム、ピカピカの机にも馴れた頃、職業別電話帳(最近はタウンページという)の広告を見たという女性から「調査をお願いしたい」と言う電話が入った。当時までは犬鳴の事務所でも小さな広告を出していた。何しろNTTの電話帳広告は、その掲載料金がバカ高い。仮に、1ページの広告を出すと無色で毎月100万円以上だった。昭和50年に入ると、関西の業者が東京に進出し、初めて1ページ広告を打って来た。すると、我も我もとばかりに競って大量の広告を出すようになり、半ページとか、四分の一の広告では何の意味も無くなっていた。最近犬鳴が入会し、理事になっている「東京都調査業協会」の最大の懸案事項が、対関西の広告問題で、協会では、(一社1ページ)という、旧日本電電公社時代の決まりを守るよう抗ってみたが、(銭は汚く儲けて綺麗に使うんや)という考えの大阪商人には遂に理解を得られなかった。

在京の業者も対抗上5ページ10ページと大量の広告を出してくる者もいて、まさに、仁義無き広告合戦が繰り広げられていた時代であった。ウソかと思う読者もいるだろうが或る探偵事務所は1年で30億円近い広告料をNTTに支払っていた。技術も機動力にも難点の有る零細の探偵事務所に、怒涛のごとく仕事が入った。当然ながら質の良い結果を得られず、中途半端な報告をされた依頼人が泣きを見る。そんな無茶苦茶な業界でもあり、警察庁も見るに見かねて(法律)を作ってやらなければ。と、考え始めたようだった。しかし、当時の犬鳴探偵事務所は、都内の法律事務所や口コミで訪れる依頼人で十分潤っていたので、常識的な範囲で宣伝活動をしていた。

電話の女性は「今日でも良いか」と言うので、犬鳴は午後1時の約束をして事務所で待つことにした。仕事の無い者や、調査から帰って来た者が数人事務所にいて、みんなを連れてランチに行き帰って来た時、タイミング良くくだんの依頼人から電話が入り、「今、新宿通りの四谷四丁目に居るが何処を曲がれば良いか」と言う。事務員が丁寧に教え、電話を切った後、(声の感じではまだ若そうです)と言ったものだから、調査員らは盛り上がって、窓にへばりつき、(あ、あれかな)なんて、通行人の女性を見ると歓声を上げている。その時、新宿通りから白いベンツが右折して事務所のほうに向かってきた。まさかそんな高級車で若い女性が来るとは思わないのか調査員らは気にも留めていない。犬鳴も、(まあ違うだろう)と思っていると、まだ三十前か、素晴らしくスタイルの良い美人が事務所の前に停めたベンツから降りてきた。事務所の横に有名なうなぎ屋があり、そこにでも来たのだろうと思っていると、受付の高子の(いらしゃいませ)と言う声が聞こえた。ーーーーーーーー