犬鳴探偵事務所 44

探偵日記 4月26日金曜日晴れ

昨夜久しぶりに少し遅くなった。就寝は01:30、起床は05時、少し辛かったがタイちゃんの散歩に出る。帰省のためのお土産等を伊勢丹で買って、12に時事務所へ。珍しく調査員が誰も居ない。陽気もいいし、仕事もはかどるだろう。僕は明日から山口県に帰省する。したがって、このブログも5月7日までお休みする。

犬鳴探偵事務所 44

翌日午後の新幹線で帰京。例の組長以下総勢はその翌日上京する手はずになった。30名分のホテルを確保して、オーナーにもその旨報告し、(もう少し時間がかかる)ことを了解してもらう。オーナーは幸い東京に居たが、明日は九州方面に向かうらしい。夕方「犬鳴さん食事でも如何ですか」と誘われ、(東京はあまり知らない)というので、新宿二丁目のおすし屋さんに行く。食事に誘っておきながら出されたものに手をつけようとせずお茶ばかり飲んでいる。一般的に覚せい剤の常習者は食事を摂らずコーラーなどの飲み物に依存する。一つには喉が渇くためらしい。犬鳴は不良だったが、薬物には手を出したことが無い。根は小心な田舎者なのだ。

その日、東京駅までヤクザの御一行さんを迎えに行く。事務所の車両を総動員し、乗り切れない者は調査員が随行しとりあえずホテルに案内した。組長以下、主だった幹部は犬鳴の事務所に来てもらって、早速明日の打ち合わせに入る。先方にも連絡し日時が決まる。こちらは犬鳴が出席することになった。その夜、組長の希望で、歌舞伎町のしゃぶ叙で食事したあと、歌舞伎町で一番大きなクラブに繰り出した。案の上お行儀の悪さは関東のヤクザとは比較にならない。一説によると、西のヤクザは東京志向が強いという。その証拠に、多くの組が斥候のつもりか東京に事務所を構えるている。ただ、「関東二十日会」(関東の各暴力団が、西に対抗すべく、西と協定を結んでいた)との約束事があって、正式に稼業の看板が出せないで居た。したがって、○○企画とか、××エージェンシーなどと、普通の会社を装って悪行を重ねている。組長が犬鳴の事務所を見て、「このくらいの事務所が有ったらええな」といった言葉は本音のようだった。

クラブで大騒ぎして、さあお開きにしよう。と思っていた時、組長代行が犬鳴の席に来て「女はどないなってますか」と聞く。犬鳴はエッと思ったが、横に居た河合が、「犬鳴はん、組長は大の女好きでんねん、どんなんでもよろしゅうおますさかいホテルの部屋に来させて下さいよ」と、助け舟を出してくれた。犬鳴は少々うんざりしたが、そんなものか。と思い直し、(分りました。日本人じゃあなくても構いませんか?)と聞くと、河合も代行も、(それで良い)と言う。世界に名だたる繁華街の歌舞伎町である。そういうルートも知っていたので、何とかその夜は手配した。ついでにと思い(河合さんはどうしますか?)と聞くと「大笑いされ、わしゃあええ」と言う。

そんなことがあって翌日午後2時、新宿駅西口にある京王プラザホテルで、同じY系の組同士が対峙することになった。向こうが若頭ならこっちの頭は出なくて良いだろうということで、組長はホテルで待機してもらい、河合章吾ほか三名と犬鳴の五人が相手方と話をすることになり、約束の時間にやってきた彼らとの面談が始まった。犬鳴はすでに面識があったので最初は和気藹々と進んだが、本題に入ると双方譲らず、やや険悪な空気になった。(それじゃあ何が何でも返してくれはらんのでっか)河合が言う「こっちの依頼人は、そういう約束で店を預かっている。約束を違えたのはそっちやないですか」向こうもも引かない。丁々発止そんな応酬が続いた時、それまでのにこやかな表情を微塵にも変えず河合が言う(おたくらそんな漫画みたいなことを言ってはると命のやりとりになりまっせ)と。

その時、そばで聞いていた犬鳴は、心中う~んと唸った。今まで何かと粋がってきた犬鳴だが、河合の迫力はそんなちょい悪の堅気には到底及ばない、いや、仮に、犬鳴がいっぱしのヤクザになっていたとしてもとても適わないだろうと思った。大きな声で言ったわけではない。ことさら凄んだわけでもない。なのに、聞くもののはらわたを抉るような気迫が滲み出ていた。関西弁の(命のやりとりになりまっせ)と言うひと言で、双方の力関係は歴然とした。確かに、同じ傘下の組同士とはいえ、河合の組長は、四国のそれと比べて、段違いに格上なのかもしれない。勿論、こんな事で、内々が抗争に発展するとは犬鳴も思ってはいなかった。ただしかし、相手が手を振りかざしてくるのなら、河合の言うように、何人か命を落す事態になるかも知れない。河合は、暗に、しかも単刀直入に伝えたに過ぎない。相手を窺うと、ウっといった感じで返す言葉に詰まっている。若頭がそうなのだから、他の者は声も出ず目が宙を彷徨っていた。

結局、この後、双方の頭が出てきて、頂上会談の結果、比較的業績の上がっていない大塚や巣鴨、上野の7店舗を贈呈することで決着がつき、師走の慌しい最中、東大出の親分率いる一家は、犬鳴が渡した5億円を手に神戸に帰っていった。帰りしな、組長は、「犬鳴はん、これからちょくちょく上って来ますさかい安生頼みまっせ」と言う。犬鳴は、冗談じゃあない。と思ったが、満面の笑みで見送り(こちらこそ)と言って送り出した。
河合はその後も本当にちょくちょく上京し、その度犬鳴は快く相手した。ある時、ホテルに迎えに行った犬鳴の前で、「ちょっと着替えさせて下さい」と言って、上半身を露にしたが、二の腕から太ももにかけ見事な刺青を見た。