犬鳴探偵事務所 17

探偵日記 3月22日金曜日晴れ

今日は阿佐ヶ谷の有名な「死に来た病院」否、河北総合病院で、定期検診の日。散歩の後、仮眠も食事もせず08時病院へ。採血のあと主治医の建石女医の診察を受ける。「血糖値が異常に上がっていますね。膵臓が一生懸命インシュリンを出してくれているのに数値が上がるのは糖尿が悪化している証拠です。お薬を飲む時期です。あ、それから、血圧もちょっと高目ですからそっちも増やしましょう。と言われ、糖尿が朝晩2回、血圧も、今まで朝だけだったのが夕方も飲まなければならなくなった。建石先生曰く「ご家族も糖尿の方が多いので、やっぱりそういう家系なのでしょう。とにかく、食事に気をつけることと、お酒はやめてください。ハイ、では2ヵ月後。」遂に、女医の餌食になってしまった。(笑)
病院の近くの喫茶店でモーニングを食べて事務所へ。

犬鳴探偵事務所 17

東京に着き、病院の近くにホテルをとり、依頼人に連絡する。「仕事が終わり次第夫を向かわせる」由。工藤夫妻も沙織に連絡をつける。犬鳴は考えた。ドクターと沙織が一緒じゃあないほうが良い。沙織の説得は夫妻に任せよう。列車の中で駅弁を食べたがそろそろお腹もすいてきた。犬鳴は、遠慮する二人を伴ってホテルのレストランに行きアルコール抜きで腹ごしらえした。工藤夫妻は口数も少なく黙々と箸を動かしている。(東京は初めてですか)と聞くと、母親のほうが「いいえ、沙織が就職した時こっちまで送ってきました。その時、靖国神社と浅草に行きました。」と応え、夫もしきりに頷いている。列車の中で(沙織を青森に連れて帰ること、手術は盛岡で行いたいこと、沙織が心身ともに回復するまでは郷里にとどめること)などを決め、「お金は要らない」と言い張る父親を宥めて、とりあえず500万円を受け取ってもらった。

犬鳴は、(工藤さん、このお金は沙織さんの手術の可否には関係ありません。もし、沙織さんがどうしても産みたいとおっしゃっても返していただく必要はありません。仮に産むということになれば、柳原夫人の対応も変わってくるでしょうし、或いは、沙織さんに対し、妻として、損害賠償を求めるかもしれません。まあ、沙織さんの気持ちを第一に相談しましょう。僕としても、娘を持つ父親です。今回のことが僕のことだったら、柳原を許せないっていう気持ちもありますが、いざとなれば、娘の将来のほうが肝心ですからね)そのあと、お金で何でも解決できるわけじゃあない。とか、医者という職業の人間は、お山の大将で、周囲に意見を言う人が居ないものだから、何をしても許されるって勘違いしている。などと、ドクターの悪口を山のように言ってやった。

午後7時、信濃町の病院から駆けつけたDr柳原は、打ち合わせどおり、夫妻に対し平身低頭で謝罪し、しかし、沙織との結婚の可能性は無いこと、ただ、彼女の将来について、出来るだけのことをさせて頂く。と固く約束させた。工藤夫妻は「かえって先生にご心配をかけて申し訳ありません。娘に良く言い聞かせ、今後ご迷惑をかけないように致します」と言って、どっちが被害者かわからないような態度で終始した。犬鳴は、そんな光景を目の当たりにして、二女も青森で看護婦をしており、夫妻には、医師が天上人に思えるのかもしれない。と思った。

このあと、沙織を迎え工藤夫妻がどのような言葉で説得するのか、或いは、諌めるのか分らなかったが、親子のことである。なるようになるだろうと考え、(じゃあ工藤さん明日10時頃伺います)と言って、柳原を促して部屋を出た。エレベーターの中で、すみません、すみませんとぺこぺこする柳原に対し、(先生、浮気もいいけどもっと上手くしなきゃあ、奥さんを泣かせたり、苦しめたら遊びじゃあなくなるよ)と諭すようにいってやると、何を勘違いしたか嬉しそうに頭を掻いて笑っていた。犬鳴は、そんな男を見て、馬鹿っじゃあないの。と思ったが、(まあ、こういう人がいるから探偵も仕事になるんだな)と考え直し、(沙織さんが子供を処置してくれるかどうか分らないけど、これからは、もう少し奥さんを大切にしてあげてね)と言うと、柳原はまた少し笑って、「沙織も承知してくれました。子供を堕ろしてくれたら今までのように付き合ってあげるって言ったら」と言う。

犬鳴はどっと疲れが出た感じで返す言葉もなかった。どんな言い方で説得したのか知らないが、男も男なら沙織も沙織だ。犬鳴は仕事だからしょうがないが、可愛い娘の一大事に駆けつけ、犬鳴や柳原の前で、打ちひしがれる両親を見て沙織は何を思うだろうか。
ホテルから少し離れた所に、柳原夫人のベンツが停まっている。どんな場合も哀れは女性のほうか。---------