探偵日記 2月3日火曜日 晴れ
携帯をスマホに変えてから精神状態が良くない。操作が難しいのと、うっかりどこかのボタンを押したのだろうか、昨日等、暫く何も出来ないことがあったし、今、一番困るのは、時々メールが相手に届かないことだ。自分のほうは(送信済み)となるから、返事を待っているが一向に来ない。再度送ってみるがやはり返信が無い。翌日、電話をかけて(何も来てないよ)と言われ愕然とする。始末が悪いのは、送信できる場合もあるからで、全く行かなければドコモに駆け込むことも出来る。まったく厄介な代物である。
新宿・犬鳴探偵事務所 4-3
朝10時、都庁近くのホテルに行く。田舎の人は律儀である。犬鳴が新宿公園に面したラウンジに行くと、居心地が悪そうに工藤夫妻が待っていた。犬鳴の姿を見てホッとした顔をする。そんな夫妻を見て、犬鳴は5,6年前のある光景を思い出した。犬鳴の郷里山口県から、小学校一年の時の担任が夫とともに上京したときのことだ。その女の先生と犬鳴は浅からぬ縁があった。当時、犬鳴は重い病に罹り手術を必要とした。しかし、今のように医療負担が軽くない時代で、犬鳴家ではどうにもならないところを、赤の他人の、まだ若く、しかも結婚したばかりの先生が、自分のお金で手術を受けさせてくれたのである。今でもよく覚えている。村からJRの駅で二つ離れた町の病院に連れて行かれ、診察を受けたあと数日後に手術することに決まったのだが、少し坂になっている病院までの道を、先生は、犬鳴の手を引いて歩きながら、「君は大きくなったら何になりたいの」とか、「一生懸命お勉強して偉くなるのよ」などと、優しく微笑んだ先生の顔を。その先生が「主人が定年になった記念に東京見物をしたい」と言ってきた。
犬鳴に連絡をくれたときはスケジュールも決まっていたようで、宿泊先が(駿河台ホテル)とあったので、上京した日に早速訪問した。夫も教員だったようで、修学旅行で何度か利用したことのあるそのホテルをとったらしいが、犬鳴は行ってみてびっくりした。玄関一杯に修学旅行の生徒が溢れ、彼らの荷物とともに足の踏み場もないぐらい混雑していた。そんな中に、二人がポツンと立って犬鳴を待っていた。何も、二十年以上前の恩を返そうとかそんな大層な気持ちではなく、宿がこれじゃあ折角のフルムーンも台無しだ。そう思った犬鳴は、(先生、差し出がましいようですが僕のほうでホテルを押さえて有りますからそっちに移りましょう)と、強引に移動してもらった。
二人は恐縮して、「いや我々はここでいい」と遠慮していたが、さっさと乗ってきた車に荷物を載せ、犬鳴としてはちょっぴり気張って、赤坂のホテルニューオータニに移ってもらったのだった。ところが、犬鳴のお節介が裏目に出てしまった。その夜は、夜の東京をドライブがてら案内し、ホテルの中のお寿司屋さんで食事をしたところまでは良かったのだが、翌朝、「是非、皇居に行きたい」という二人を迎えに行って驚いた。部屋をノックすると先生がドアを開けて招き入れてくれたのだが、ご主人がベッドの上に正座している。犬鳴が入ると隣のベッドに先生も正座した。犬鳴が(ゆっくりお休みになれましたか)と聞くと、二人は顔を見合わせて「いやあ、布団が無くて良く眠れませんでした」と言う。犬鳴は、おかしいなあ、二人はその布団の上に座っているのに。と思い、その訳を良く聞いてみると、「毛布みたいに薄いそれが布団だと思わなかった」らしい。それならフロントにでも聞けば良いものを。と思ったが後の祭りであった。それでも、ガーデンテラスで軽い朝食を済ませ、庭に出ると、やはり散策していた外国人を見つけ、「犬鳴クン、あの人と一緒に写真を撮ってもらいたいと言う。犬鳴は、(まいったな)と思ったが、片言のイングリッシュで頼んでみると、一瞬怪訝な顔をされたが、オッケーと言って気さくに応じてくれた。二人は大喜びである。次に、皇居に行き、二重橋の前で、二人に並んで立って貰い記念写真を撮影する。
まさに、珍道中のような東京見物であったようだが、犬鳴が大きく引き伸ばした写真を送ると、「家宝にする」と言う返事が届いた。ーーーーーーーーーーーーーーーー