探偵日記

探偵日記 01月08日水曜日 曇りのち雨

今日は「二水会」阿佐ヶ谷のコンペ。3組で行われる。あいにくの空模様だがゴルフにはつきもので中止にはならない。というわけで、05時起床、歯を磨いて出発。

話しは変わるが、今日は文京区役所の悪口、昨日、僕が代理人となって文京区役所に或る人の戸籍を取りに行った。あの悪法のため、あらかじめ戸籍係に電話で(代理人だけどどうしたらいいか)と聞いた。「委任状があれば大丈夫です」と言われ、その通りにして赴く。窓口で事情を話し、「これで結構です」と言われ待つこと1時間半。番号を呼ばれ窓口に行くと「文京区ではお出しできません」と言う返事。僕は(それはないでしょう。僕は昨日電話で確認し、言われた通りのものを持ってきて、窓口にも事情を話し、結構ですお待ちください)と言われ待っていたのに、どういうことですか、この雨の中阿佐ヶ谷から来たんですよ。と抗議したが、「申し訳ございません」の一点張り。すぐに顧問弁護士に電話して事情を話す。弁護士は「慰謝料を請求しますか」というが、勿論僕はそこまでの気持ちはない。しかし、(公僕)に対する憤りはある。同じ区役所の職員が、「それでお出しします」と言うから来たのに、同じ職場の他の人は「お出しできません」と言う。一体全体どうなってるの?と思わざるを得ない。ま、慰謝料の請求はともかく、区長には苦情の文書を送りたいと思う。お役所のことなかれ主義というか、四角四面の思考何とかならないのか、嘆かわしいし、同じ国民としてやりきれない。・・・

新宿・犬鳴探偵事務所 8

犬鳴は、昭和39年の東京オリンピックの前年上京したが、最初から(探偵)を志したわけではない。折角入った大学を中退し、何の目的もないまま刹那的に性活していたとろに、生母(後で詳しく書くが犬鳴には二人の母がいる)が、彼女の兄で犬鳴の叔父にあたる人に、(兄さん吾朗のことを頼むわよ。このままじゃああの子ヤクザにでもなりかねないから)と、頼み込んでこの業界に入ったのだ。叔父は、当時の帝国興信所(今の帝國データバンク)で、調査部長をしていた。わが国最大の調査会社である。そんなわけで、最初はいわゆる興信所的な仕事、例えば、A社に頼まれてB社を調べるといった企業間の信用調査が主な仕事だった。ここで3年修業した後、叔父の許しを得て、神田の「東京探偵事務所」に移ったが、ここで働いた半年で、(俺の一生の仕事はこれだ)と決め、探偵の仕事にのめりこんだ。
犬鳴の叔父はたいそうダンディな人で、アルバイトで、社交ダンスの教師もしていた。仕事が終わると机からダンスシューズを取り出し、「オイ吾朗踊りに行こう」と言って、当時その頃たいそう賑わっていた新橋のダンスホール「フロリダ」良く行ったものだ。
しかし、暫くすると、「春枝が、お前にダンスを教えるとキチガイに刃物になるからやめてくれって言うんだ」と言って以後誘われなくなった。春枝と言うのは僕の生母だが、彼女がそんなことを言うはずはない。なぜならば、母は日頃から「吾朗あんたもダンスぐらい出来なきゃあ駄目よ」と言っていたのだ。おそらく叔父は、犬鳴にダンスのセンスが無いと見極めたのだろう。犬鳴自身も、歌を歌えば音痴だし、踊っていても何となくるズムに乗りきれないと感じていたので、叔父には残念そうな顔をしたものの本心は(ああ良かった)と、ほっとした。・・・