詐欺 その3

保釈で出所した(真の依頼人)赤岡明則と神保町のオフィスで会った。この頃は、銀座の事務所から神保町に移っており、女子事務員も居て何となく会社らしい雰囲気になっていた。三白眼に紹介され(お疲れ様でした)と言うと、ギョロリとした大きな目で僕を見据え「詳しい打ち合わせは後でしよう」と言って、事務所にいる者たちに、どすの聞いた声で、「おい、飯食いに行こう」と、子分に号令するように言う。

僕が、部外者らしく(どうしたものか)と思っていると、「福田さんも一緒にどうですか」と、誘ってくれた。三年以上拘束されて、顔色はやや優れないが流石に取り巻きの者と違う迫力があり、良い悪いは別にして棟梁の器を感じさせた。食事の後、麻雀をしようという。僕を紹介したブローカー氏から、僕が麻雀をすることを聞いていたらしく、神保町からロールスロイスに乗せられ、(成城のサティアン)に行き、朝方まで付き合った。夕方6時ころ東京拘置所を出て、三年間の週間として、21時には眠くなるはずなのにタフである。

麻雀は僕の一人勝ちだった。麻雀をしながら、今後ぼくにさせたい調査の案件を指示してくれた。帰り際、「とりあえず、さっき言った調査を進めてくれ、費用はどのくらいかな」と言うので、(500万円ほどご用意いただけますか)と言うと、「じゃあ明日、じゃないもう今日か」などと、笑いながら言って「夕方、そうだな5時に来てくれ」と言う。

バブル崩壊後、半年ほど落ち込んだ業績も9割がた回復した頃だったが、赤岡も上客である。彼も僕の探偵事務所を評価したようで、5時に行き、二人っきりになった赤岡は、無造作に、茶封筒に入った1000万円をくれる。多いんじゃないですか。と、言いかける僕に、(余計なことを言うな)と言うような目で制し、「もうあんたとは麻雀しないよ。」笑いながら言い、「負けることなんかないだろう」と付け加える。

こうして、反社会的ともいえるグループとの付き合いが始まり、様々な調査を引き受けた。僕は、本来の調査とは別に、赤岡の裁判は全て傍聴し、時には、弁護団との打ち合わせにも参加した。赤岡が出所して、最初の公判の日、(赤岡を拉致しようとするグループがいる)という情報が入り、僕の事務所が主になって、成城サティアンと裁判所の往復を護衛した。僕は、(法治国家の我が国で、裁判所に出廷する被告人を連れ去ろうとする)輩が存在するとは思えず高をくくっていたが、公判当日、関東の組織暴力団K会の構成員十数名が、法廷のあちらこちらに待機している状況を見て、緊張したことを今でも覚えている。--------



9月19日水曜日

昨日、懸案事項の一つがあっさりと解決し、肩の荷が少し軽くなった。それもあって、親しい弁護士と会食、少々飲みすぎたが二日酔いにもならず元気に事務所に出てきた。世の中、時間が解決してくれることって多い。と、つくづく思う。(我慢)の大切さをしみじみ実感した。以前、(金持ち喧嘩せず)と、のたもうた依頼人が居たが、貧乏人も喧嘩しないほうが良い。特に人と人の関係において、喧嘩したら終わりである。ただ、やみくもに耐えるというのではなく、(勝ち戦)でなければならない。と、思う。しかし、例え勝っても失うものも多い。今回は、三ヶ月我慢して、望みは叶ったが大切なものも失った。来年古希を迎える僕の人生反省の連続である。