詐欺 その1

昨夜は予想通り徹夜に近い張り込みになった。ただ、成果としては、(本人確認と勤務状況)が分かっただけで、肝心のいわゆる動かぬ証拠の把握には至らなかった。仕方の無いことである。マルヒの心境もあれば、推測される不倫相手の都合もある。俗に言う(空振り)に終わってしまった。

調査員6人車両3台、チャリ1台、まさに、大捕り物といった状況である。午後9時過ぎ予定通りマルヒがママチャリ(依頼人の言うものと異なる)で出る。住宅街の暗い道を当方のチャリが7~80メートル後方から追尾。そのサラに後方を僕の車がライトを消して追い、もう1台も付いて来る。1台は、勤務先に先回りしたようで、調査員たちはしきりに連絡を取り合っている。

01時、マルヒの仕事の終わる時間。みんな緊張する。しかし、結果は、同僚の女性と喫茶店でおしゃべりし、チャリでその女性と途中まで走り、04時20分帰宅した。

僕は、チャリ班の調査員を送って、空が白み始めた頃帰宅。空腹を我慢してベッドに入る。

午前9時、(ごはんですよ)と、何かのコマーシャルのようなセリフで起こされ、美味しい朝ごはんを頂く。同、10時55分、自宅を出て事務所に。------

さて、今日から、もう20年ほど前に経験したある詐欺事件に係わった調査を報告してみたい。

詐欺 その1

平成3年5月、僕は、助手席に妻を乗せ、秋田から新潟に向かう国道を西に向かって走っていた。数日前、東京を出発した僕たちは、青森県弘前市で行われる社員の結婚式に出席するため、まず、茨城県のゴルフ場で、顧問弁護士主催のコンペに出て、当日は、福島県郡山で宿泊。翌日は、東北自動車道をひた走り、八甲田山へ。そこで2泊し、東京からやってきていた友人らと2プレー。2日目のプレー後、挙式会場のある弘前市に戻り宿泊。夜、食事の後訪れた弘前城址の夜桜は見事だった。

式の当日、どういうわけか、一番最初に、主賓として挨拶をし、その日は、秋田市内のホテルに泊まって、時期はずれの(きりたんぽ)を頂く。そして、冒頭のドライブと相成った次第である。この日は、金沢に近い(山中温泉)に泊まる予定である。さらに、日本海側を走り、松江に泊まって、僕のふるさと山口県に入る計画を立てていた。

秋田から山形を通過、新潟県にさしかかった時、僕の携帯電話が鳴った。時は、GWの真っ最中。しかもメインバンクからである。訝しく思いながら出てみると、「取立てでお預かりしていた手形が不渡りになりました」と言う。エッと思ったが、当時としては額面もさほど大きいものではないので、(分かりました。東京に帰ったら伺います)と言って電話を切った。

しかし、やや遅ればせながら、僕にとっての(バブル崩壊)のカウントダウンがこの時始まったのであった。日本経済は、数年前から始まった、金融、不動産バブル景気に支えられ、浮かれきっていた頃だった。僕のように野良犬みたいな探偵でも車はベンツ、この小旅行も、最後に、郷里の山口に完成した別荘の受け取りが予定されていた。

合計5000キロの長いドライブを終え、東京に帰ってきたのが5月11日。翌日事務所に出て、最初にやらなければならないことが銀行に行き不渡りになった手形の回収、続いて、発行人の会社を訪問し事情を聞くことだった。手形の発行人は、ブラックジャーナリストS氏。とっちゃん坊やみたいな顔をして、いつもニコニコしているが、なかなかの兵である。今となれば、もう40年近い付き合いとなるが、全く油断も隙もない人物で、特に、調査費用の支払い方が悪い。では何故、そんな人と長年取引しているのか。と、不思議に思うかもしれないが、そこが人生の妙味だろう。怒ってみたり軽蔑したりするのだが、勿論魅力的な部分も多い。平たく言うと(憎めない)のだ。

結局、このときのン百万円は回収できずにいるが、僕はちゃっかりその他の方法で回収した。(笑) 彼は、人の、というより企業の瑕疵を見つけて合法的に(自称である。僕は決して合法とは思えないが)大金を巻き上げている。僕が提供する情報を生かしてである。しかし、決して詐欺師のように人は騙さない。

これから報告する「赤岡明則」は、周囲の誰もが認める「詐欺師」である。

バブルが崩壊するとともに、今まで行け行けだったもの達は総じて資金ショートした。僕の持論は、このバブル崩壊は、政府、特に、時の大蔵大臣橋本竜太郎氏と、三重野日銀総裁の政策ミスだと思っている。一方、銀行も悪い。ここで詳細を書くのは省くが、簡潔にいうと、今まで「借りて下さい」と言って、湯水のように貸し付けていた銀行が、或る日、「もう二度と融資は出来ない。これまで貸したお金を今すぐ返せ、」と言って、あの手この手を使って取り立てていったのである。

あれから、20年が経過し、まさに、転覆寸前の(日本丸)が、精神に異常を来たした同胞と、放射線にまみれた(経済)という海を彷徨している。

今まで、毎月4~5千万円あった売り上げが、悪い時は2~3百万円まで落ち込む。いい時に増やした調査員は20数名になっており、毎月埋めようのない赤字が続いていた或る日、景気の良い時に知り合ったブローカーから「ちょっと仕事を頼みたい」と言われ、銀座5丁目にあるビルの一室に連れて行かれた。ガランとした事務室に、女子事務員が一人、まだ30ぐらいの痩せた男が一人いた。(なんだか、胡散臭いな^)と思ったが、仕事の欲しい頃である。愛想良くその男に名刺を出したが、先方はにこりともしないばかりか名刺もくれない。(ふざけた野郎だ)と思ったが、ぐっと堪えて雑談に応じた。

人は判らないものである。この痩せた生意気な男が、当時、世間をあっと驚かせた、銀行を舞台に繰り広げられた巨額の詐欺横領事件の主犯「赤岡明則」の実弟だった。

僕を紹介したブローカー氏に、三白眼の男が言う。「この人信用できる人ですか」ーーーーーーー