昨日は、御殿場、熱海、沼津とまわり、最後にもう一度御殿場に行ったので東京に帰ってきたのは19時くらいになった。御殿場から東京までは順調だったが、一般道(環八)に出たところで渋滞になり、自宅まで、高速道路の倍かかった。合計350キロのドライブ。景色は見れなかったが、箱根の山頂はもう秋のたたずまいであった。調査もそれなりに成果があり、充実した一日といえよう。
詐欺その5
金森泰造48歳。俗にキョッポと言われる在日韓国人である。詳しい経歴は定かではないが、当時、横浜で外車の販売会社を経営していた。本事件主犯の赤岡明則とは、金融絡みの仕事で知り合い、すでに20年近い仲だった様に記憶する。中肉中背、尾行してみて、なかなかハンサムだったことを覚えている。
彼は、赤岡がタイに逃亡する際、100億円を預かった人物である。当時の三菱銀行発行の預手(銀行が、預金者の求めに応じて、預金に見合う金額の手形を発行するもので、最も信頼できる有価証券といえよう)額面1億円の預手を100枚、金森は帝国ホテルの一室で赤岡から受け取り、当然ながら違背しないことを誓約した。当時いかにバブル期とはいえ、100億円である。数千億を手にした赤岡はともかく、預かった金森の心境はいかばかりか、僕みたいな貧乏探偵には想像もつかない。
平成6年末、保釈で出た赤岡は、落ち着いたところで金森に会おうとした。その前に、彼の状況をつぶさに知りたいと思ったようだ。当然ながら、拘留中の赤岡は接見禁止(否認しているため弁護士以外は面会できないこと)になっており、金森も以来赤岡とは会っていない。また、仮に、出所したとはいえ赤岡が事件の関係者と会うことも禁止されている。そういう裁判所との約束事を破れば、5億円の保証金を没収されかねなく、直ちに拘置所にUターンである。
調査は順調に進み、金森や経営する会社の現況が判明した。要約すると、バブル崩壊後、100億円は跡形もなく消え去っていたのだった。当時の金森家は電気代も滞るありさまで、会社は有名無実、実態こそかろうじて残っているものの、社員は数名しか居らず商談は皆無であった。しかし、100億円は違う理由で消滅していた。女と博打である。女は、赤坂の韓国クラブのホステス。とっかえひっかえ相手を変え、湯水のように与えていた。博打は、野球賭博。胴元は関西のY系暴力団のある組で、彼は、1回に数千万円を賭けていたらしい。したがって、その方面では重宝に扱われ、(金森に何かあれば一家で守る)暗黙の了解みたいなものがあったようだ。
某日、赤岡と金森が面談することになった。勿論、我が探偵事務所は赤岡の警護に回る。考えたもので、赤岡は病気を装い、何と警察病院に入院した。そこで面会時間を過ぎた頃金森を呼びつける。という算段だった。午後10時07分、病院の裏口に金森の運転するベンツが現れた。-------