見習い探偵 7

探偵日記 5月24日金曜日晴れ

9時、昨日予約したクリニックに行く。糖尿病の権威と評判の院長先生と話すが、初診でもあり意思の疎通は半分ぐらいしか適わなかった。それでも暫く通ってみようと思い処方箋を書いてもらう。調剤薬局でクスリを貰い10時半事務所へ。顧問で、元警視庁警部のMさんが居て一緒にランチする。
このところ、調査が上手くいったり、そうでなかったりと、一喜一憂する毎日である。マルヒの行動は気まぐれで予測がつかない。あ~あ。

見習い探偵 7

N君は18歳の時面接にやってきた。身長182センチぐらい。小太り(現在は100キロ以上らしい)。犬鳴は、(なんだこいつ)と思ったが、来る者拒まず。で、即採用した。昭和61年、バブルの真っ最中、2年前、それまで勤めていた銀行を退職して「探偵になりたい」と言って応募してきた内山君がチーフの時だったが、採用にあたって条件をつけた。というのは、当時のN君は、見事な金髪だった。犬鳴は、(採用してもいいけど、その頭を何とかしろ。そのままじゃあ雇えない)といったら、翌日、半分だけ赤く染め直してきた。(しょうがないなあ)と思ったが仕方なく雇い入れたのだが、或る日、チーフの内山君と調査に出掛けた。途中、内山君から電話がかかり、「所長困りましたよ」と言う。(どうしたの)と聞くと、N君は、例の頭に加え、アロハシャツで現場に来たという。しかも、その張り込み現場は寺院だった。

茫洋として掴みどころの無いNくんだったが、気のいい面があり、事務所の女性達には人気があった。理由を聞くと(優しいから)との由。そういえば、犬鳴はあれから30年経った今日まで、N君が怒ったところを知らない。ある時、N君に少し遅れて入社したN子と一緒に、井口夫人の夫の尾行に参加させた。マンネリ化した調査で、見習い探偵の勉強にはおあつらいむきだった。たまたま犬鳴が別件で現場を通りかかり、(ああそうだ)と思い二人が張り込んでいる場所に行くと、二人はなんと、本来見ておかなければならない方向とは真逆の方に向いて、ご丁寧にしっかりお手てをつないで公園のベンチに座っていた。犬鳴は、何か見てはいけないものを見た気持ちになって、気づかれないように二人の後ろを通過した。勿論、二人が僕の車に気づくことも無かった。(どうせ長続きしないだろう)と思っていたN君は、その後独立して、細々ながら探偵稼業を続けている。しかし、N子とはあっさり別れたらしい。

そんなN君だけど適材適所の調査は有った。テレビや新聞で大きく取り上げられた経済事件にからむ調査で、犬鳴探偵事務所の依頼人が敵対する暴力団と会談することになった。依頼人が言う。「ワンちゃん、あいつを貸してくれないかなあ。いや、ただ座っているだけでいい。出来ればサングラスかなんかかけて」勿論犬鳴も加わることになっていたから承知した。今度は犬鳴がN君に言い聞かせる(お前は黙って座ってればいい。決して笑うんじゃあないよ。)と。その頃のN君は、体重はすでに100キロを越え、ヘアースタイルは長髪を後ろで束ねていたから、ハリウッド俳優の誰かにそっくりだった。会談の当日、わが方は依頼人、その部下達3名、犬鳴とN君の計6人。向こうは組長以下5名。ANAホテルの中華店の個室で対峙した。何しろ数十億~100億円の話である。自分達に全く権利の無い不動産物件について、理不尽に(よこせ)と言う。理屈も何にも無い、まさに仁義鳴き戦いなのだが、暴力団も真剣である。滑稽だったのが、彼らのN君に対する反応である。まあ、犬鳴が見てもN君は存在感が有り、彼らは、わけも無く威圧されていた。後で聞いたところによれば、彼らは依頼人が(タイの軍隊から選びすぐった兵士を呼んだらしい)と思い込んで、かなりびびったらしい。依頼人は大喜びだった。

そんなN君は、バブルの終焉とともに犬鳴探偵事務所から独立。グループの事務所の一つとして頑張っている。体はでかいが気の優しい探偵は今日も元気だ。------