見習い探偵 8

探偵日記 5月26日晴れ

昨夜少々飲みすぎて1時過ぎに帰宅。今朝の散歩を代わって貰い8時まで寝た。
10時過ぎに家を出て、伊勢丹でお味噌と梅干を買って事務所へ。今日も現場で調査員らが張り込んでいる。上手くいけばいいが。

見習い探偵 8

バブルの後遺症からやっと抜け出した頃、犬鳴探偵事務所のホームページを見たという女性から電話がかかり「まだ募集していますか」と言う。ちょうど腕の良い女性が辞めたばかりだったので、良かったら来るように言うと早速訪ねてきた。名前はU子。犬鳴と同じ山口県の出身ということや、前職などを吟味して即決採用した。小柄だがパワーもありそうで、「一度結婚に失敗しもう懲り懲り」というのも採用を決めた要因の一つになった。ただ、少し問題も有って、(就活のために上京したが、当面、住所不定)という。(じゃあ今は何処に居るの)と聞くと、「姉の家に居候しています」との由。就職が決まれば一旦帰って出直したいし、その前にアパートも決めておきたい。と言うので、犬鳴も承知してあれこれアドヴァイスした。やがて諸々の準備が整い初出勤。顔も可愛い感じで、すぐに事務所のアイドル的存在になった。

U子は思ったとおりフットワークも良く、何より頭の回転が速い。口もうまく、聞き込み等遺憾なくその能力を発揮した。酒も強く、犬鳴は、彼女が一人暮らしで淋しいだろうと思い機会のあるごとに食事に誘い(勿論二人きりではない)コミニケーションをはかった。数ヶ月もすると、男性調査員も一目置くようになり、アイドルから脱皮し、調査業務は彼女を中心に繰り広げられ、作成する報告書も犬鳴がダメだしすることはほとんど無かった。(U子、君を日本一の女探偵にしてやるから頑張れよ)と犬鳴が言えば、U子も「ハイ、よろしくお願いします」と応じ、その年の社員旅行に連れて行った。入社後1年に満たないU子は参加する資格はなかったが特別なはからいで、また、そのことで異議を唱える者は居なかった。

(能ある鷹は爪を隠す)という諺があるように、U子も自分の知識や考えをひけらかす事は無かった。ハワイ旅行最終日の夜、それまでは自由行動だったが、最後晩餐ぐらい全員で。というのが慣わしだったので、犬鳴はU子に(どこか良い店を探しておいて)と頼み最後のゴルフに出掛ける。ホテルに戻るとU子が待ち構えていて「所長、ホテルの近くでフレンチの店を予約しておきました」と言う。現地時間午後6時、ロビーに集まったメンバー全員、U子に引率されレストランへ。もう名前を忘れたがシックな内装だが、大衆的な店で、何を食べても美味しく、大いに満足してホテルに戻った。するとU子がフロントマンと何やら親しげに会話を始めた。犬鳴はそれとなく聞いていると、U子は流暢な英語で時おり一緒に笑いながら話している。

後でU子に聞くと「今日のレストランを推薦してくれた人で、お礼を言っていた」と言う。彼女は、U子の(地元の人が良く行く店を紹介して欲しい)というリクエストに応じ、今夜の店を選んでくれたらしい。正解であった。ガイドに導かれて行く旅行者専門店よりも間違いはない。

帰国後、外人の依頼で尾行調査が入り、依頼人との応対をU子が一手に引き受けてくれて多いに助かった。それから3年の月日が経過した。
ある朝、犬鳴が事務所に行くと、U子が「所長ちょっとよろしいでしょうか」と言って、部屋に入ってきた。何だろう?と思ったが、U子が言いずらそうに切り出したのは(退職願)だった。唖然とする犬鳴にU子は、「所長はじめ皆さんに大変良くして貰ったのに、誠に申し訳ないのですが今度再婚することになりました。私としては、この仕事を続けたいと思っていたのですが、相手がどうしても辞めて家庭に入って欲しい。と言うものですから」犬鳴も、結婚するというのならしょうがないなあ。と思い承諾したが、U子の再婚相手はバツ一で、何と幼子が5人いるという。

その年の正月、犬鳴の自宅にU子から年賀状が届いた。大勢の子供に囲まれたU子は幸せそうな顔をしている。傑出した才能の持ち主だった女探偵は、数年後、太っ腹母さんに変装した。