見習い探偵 10

探偵日記 5月28日火曜日曇り

昨日は可もなく不可もない平凡な一日だった。午後8時、阿佐ヶ谷に帰り、小料理店「えん家」へ。この店は僕たちが阿佐ヶ谷に引っ越してきた年にオープンしたとか。何となく親しみの持てる店であり、経営者一家である。僕の最初の本(七人の奇妙な依頼人)もここからスタートしたといって良い。僕にとっては大事な人たちだ。
僕が行くと、ゴルフ敵の金井ちゃんと姪のななちゃんが来ていた。自然と話が弾み2杯でやめておかなければならない焼酎を4回お代わりし、2軒目のワインバーでハイボールを2杯飲んだ。ワインバー「木の蔵」のマスターもゴルフ仲間の一人。年は37~8歳かな?口ひげをはやし、聖徳太子に良く似たいい男である。ひとしきり髭談義をして、11時過ぎに帰宅した。

そんなわけで、今朝の散歩は辛かった。朦朧という感じで起きてタイちゃんと外に。50分ほどで切り上げまたベッドにもぐりこむ。運転免許の更新のため、区役所の阿佐谷北出張所で住民票を貰い、新宿駅で写真を作り11時半事務所へ。

見習い探偵 10

今日はU君の話。昭和53年まで犬鳴探偵事務所は高田馬場にあった。神田で独立したが、探偵業に移行するうち事務所の所在地は(何処でも良い)気になり、馴染みの深い町に移転した。当時の住所は、新宿区高田馬場4丁目だったか、諏訪ビルの6階1室で営業していた。その頃、駅前の信用金庫の外回りがやってきて、「積み立てをしませんか」と言う。貯蓄と利殖が嫌いな犬鳴だが、信金マンの印象が良かったので(まあ、入れ)ということになり、結局僅かながら毎月集金に来てくれるという積み立てを始めた。同時に、口座も開設し、そのほか、1万円取られて組合員のようなものにもされた。U君は新潟県見附市出身。東海大の理工を出て金融機関に入った変り種(本人の弁)子供の頃は、幼稚園を3回変えられたほどの悪童だったとも。月にいっぺん来るのだろうと思っていたU君は、それから毎日のように顔を出した。お昼休みの時間帯に現われ、犬鳴の事務所で昼食を摂り、時にはビールも飲んだ。(大丈夫かいな)犬鳴のほうが心配するくらい不良社員だったが、本人は「何時首になっても良い」覚悟だから大威張りだ。

昭和54年、犬鳴探偵事務所は自社オフイスを新宿駅近くのマンションの1室の設け高田馬場から移転したが、U君は相変らず事務所に入り浸り、夕方や休日の尾行調査に加わるようになった。学生時代、陸送のバイトをやった。というくらいだから運転は上手で、そのうえ車が大好きだった。どちらかというと、運転が嫌いな犬鳴は、休日等U君に(良かったら乗って帰ったら)と勧めると喜んで運転して帰宅した。U君の癖は、嬉しい時その感情を顔に出さない。そんな時でも、口元が綻んでいるのに、仕方なさそうに「私はどのような形でも構いません」等と憎らしく言う。勤務時間内にも拘らず、昼間から探偵事務所に入りびたり、ビールを飲んで、どうかすると犬鳴らに付き合って麻雀に加わることもあった。

昭和60年、転勤していた池袋の支店を辞めたU君は、晴れて犬鳴探偵事務所の一員となり、金融マンから転身した変わり者の見習い探偵が誕生した。もともと頭の良い男だったし、探偵業にも向いていたのだろう。前に書いた金髪のN君が入った頃には犬鳴が最も信頼する人物になっていた。ただ、大層偏屈で、上司に媚びないのはまあいいとして、後輩に対する言動が少々悪すぎた。例えば、新入りの調査員が(Uさん、これはどういうことでしょうか)と質問したとする。それに対するU君の返事は「まあ、それぞれのお考えがあるでしょうから」などと、聞いた相手が困った顔をする場面が良くあった。犬鳴も、しょうがないなあ。と思っていたが、2年後、犬鳴探偵事務所が町田に支店を出した時、将来独立するために勉強しなさいと言って、支店の責任者にした。この頃は、バブルの真っ最中で、U君は、「給料は要らないから独立採算にして欲しい」という希望で、犬鳴も承知して、毎月の報告を受けるようになった。

U君は間もなく本当の独立を果たし、犬鳴グループの一社として活躍した。しかし、平成8年、末期がんを宣告され1ヵ月後に亡くなった。辛抱強い人だったが、その辛抱強さが災いした。前年の暮れ、電話の声がおかしいので犬鳴が飛んでゆくと、せんべい布団に横たわっていたU君は起き上がることもできない状態で、かかりつけの病院にかけあったが、ドクター曰く、「普通、入院されている人でもお正月は自宅で過ごしたい。と言います。入院は休み明けになさって下さい」犬鳴がU君の状態を説明したが、ドクターは「心配するような病状ではありません」と言うばかりだった。明けて3日、救急車で搬送されたU君の状態は、同じドクターから、「あと1週間でしょう。しかし、明日ということもあります。」と言われたが、ちょうど1ヶ月頑張って帰らぬ人となった。犬鳴には従順だったが、周囲、特に家族には受け入れられなかったようで、犬鳴の連絡を聞いた妻は渋ったが、二人の子を連れて引き取りに来てくれた。U君、享年50歳。探偵のあまりにも早すぎる死だった。(合掌)-------