探偵日記 5月16日木曜日晴れ
5時10分起床、8時朝食。12時、皇居前のパレスホテルで、日本橋の稲村社長とランチ。6階の和食店「和田倉」でご馳走になる。眼下に皇居広場、遠くに丸の内の高層ビルを眺めながら、普段滅多に食べられないような美味しいご飯を頂いた。社長は数十年来のメンバーで、従業員は皆ご存知のようだった。しかし、僕には、そんな貴重で至福の時を無条件に楽しめない理由がある。現在抱えている案件が暗礁に乗り上げているからだ。依頼人は30分おきに電話をかけてきて、調査の進捗を聞いてくる。会食の最中も約10分、社長をほったらかしにしてしまった。調査の目的の一つ、神奈川県某市に住むというMS氏の身元の確認なのだが、依頼人の情報も不確かで、マルヒの姓名が何処にでもある平凡なものであり、普通に検索すると数十人出てきそうだ。昔なら、市役所の市民化に行き、(住民基本台帳)を閲覧することで、ある程度までは絞れた。今更ながら、(個人情報保護法)を恨めしく思うのである。
見習い探偵 1
どんな職業にも試傭期間的な時間設定がある。一般的には採用されてから3ヶ月間がこれに当る。ちなみに私、犬鳴の場合、昭和44年10月、当時、千代田区神田にあった(東京探偵事務所)に入ったのだが、面接をしたその日の夕方からいきなり現場に出され、心細いうえに、何も分らず面食らったことを覚えている。失業中の僕は、何か面白い仕事は無いかな~と、読売新聞の募集欄を見ていたら、名刺の半分くらいの大きさで、(探偵求む)の広告を見つけた。昼過ぎに、ノロノロと起きだし、文房具店に行き、履歴書を買い、アパートに戻ってからそれを書き、午後3時頃面接に行った。東京探偵事務所は、所長のNさんと、Nさんの元女房が事務員兼留守番でいるだけで、後で知ったのだが、Nさんは、日本橋にあった老舗の探偵社を退職して独立開業したばかりだった。そして、社員第1号が僕。その日は他にも尾行の仕事が入っていたらしく、新しく入った浮気調査を僕が担当することになった。しかし、後で考えると、N所長は見る目があったといえる。なぜならば、僕は履歴書に(全くの未経験)と書いたが、実は調査業を少しだけかじっていた。帝國興信所(現在の帝國データバンク)にいた叔父の関係で、信用調査はほぼ一人前に出来たし、尾行調査も叔父と一緒にやったことがあった。
勿論そんなことはおくびにも出さず、「犬鳴君今日から働ける?」と聞くS所長に、不安一杯という顔で(ハイ)と応えたものだった。じゃあ。という訳でピカピカの見習い探偵が街に飛び出し、あ、という間にまかれてしまったのである。今では考えられないことだ。ちっぽけな僕の事務所でも採用に際し、社会保険の加入や、本人に提出してもらう、誓約書、身元保証書、採用承諾書、等々、総て揃ってから正式に採用の運びになって、さらに、教育期間もあるから、新人が現場に出るのは早くても10日から1ヶ月はかかる。それでも、アシスタント扱いだ。
明治28年、警視庁の刑事だった(岩井三郎)という人が、東京駅に近い中央区京橋で開業したのが、我が国の探偵事務所の始まりで、有名な推理作家の(江戸川乱歩)が、岩井三郎事務所の見習い探偵だった。岩井三郎という人は後に映画にもなったぐらいだから優秀な探偵だっただろうし、助手の見習い探偵乱歩少年も面白い調査を経験したに違いない。じゃあ、その頃から百年以上経た現在、どんな見習い探偵が居るのだろうか。---------