背信 その2

探偵日記 1月10日木曜日晴れ

今日も寒いけどいい天気。昨日はゴルフだったが風もなく絶好のゴルフ日和。スコアも僕としてはまずまずで、本年2回目のプレーは満足のいくものだった。夜は、阿佐ヶ谷に帰って仲間と反省会。鍋をつつきながらワイワイと他愛の無い話題で盛り上がった。
今朝は5時40分に起きてタイちゃんの散歩。何時ものように、1時間たっぷり歩く。11時、事務所に来て見るとエレベーターが定期点検とやらで休止になっている。仕方なく7階まで上がる。散歩で鍛えた足腰も階段となると別ものらしく事務所に着いたときよろけてしまった。(笑)

背信 その2

依頼人、一(にあがり)さんの話はこうだった。彼も、紹介者のK部長同様、上場会社の部長職に就いている。学卒後入社した会社に勤務しており、平均的な昇進過程で場合によっては役員の目もあるらしい。数年前、海外の子会社の社長を勧められたが、家庭の事情で断った経緯がある。その事情と言うのも妻のことだという。心底愛しているらしい。
今から20年前、あるサークルで知り合った女性、「金井良子」と結婚した。(天にも上る思いでした。まさか彼女と結婚できるとは考えていませんでしたし、彼女はサークルのマドンナ的存在で、みんなが虎視眈々と狙っていたほどです。だから僕と結婚するって聞いた彼らは一様に驚いたみたいでした。)

飲み会のあと、偶然二人きりになったとき、酒の勢いもあって(良子さん僕と結婚してくれませんか)と言ったところ「いいわよ」と、あっさり承知したという。依頼人は、まさか彼女が承諾するなんて思っていなかったので、どぎまぎして、次の言葉が出てこなかったらしい。見るからに真面目一筋といった印象の依頼人は、自分の冗談(ひょうたん)が駒を産んだことに仰天し、本来言うべき言葉も浮かばなかったようで、その日は、(じゃあ)と言って別れた。まあ、(えっ、本当)と言うのも変だし、(それじゃあ、ホテルに)っていうのも不謹慎かもしれない。もし、僕だったらどうしただろうか。何といっても、全く予期しなかった場面に遭遇したわけである。それでも、(じゃあもう一軒行って見ますか)とか言って、1時間ぐらい二人きりの時間を作っても良かった。しかしあっさり別れた依頼人は、雲の上を歩いているような心地で真っ直ぐ家に帰ったらしい。

当時の依頼人は、すでに父親を亡くしていた。3歳違いの一人の妹も嫁ぎ、母親と二人暮らし。帰宅した時は0時近かったが、まだ起きていた母親に(かあさん、俺結婚するよ)と言ったら、母親は、「またそんな冗談を言って」と言って、本気にしなかった。それでも依頼人は、翌日から良子との結婚に向け精力的に行動した。良子の両親に会い、一通りの礼を尽くし、挙式の日取りや会場、新婚旅行の計画等、良子には殆ど事後報告で次々と決めていった。一方の良子はというと、依頼人の報告を聞きながら、特に反論もしない代わりに、喜びも表わさなかった。何となく、「結婚」に向けて、浮き立つような雰囲気が見られない事に、一抹の不安と物足りなさを覚えたが、(この人を放したくない)一心で準備を急いだ。

やがてその日を迎え、披露宴も滞りなく終了し、新婚旅行先のハワイに飛び立った。前日の夜、いわゆる初夜のこと、依頼人が先にベッドに入り待っていると、花嫁の良子がなかなか来ない。どうしたんだろう?と思って、バスルームを覗いたがいなかった。2時間も経っただろうか良子が部屋に戻ってきて言うには「ごめんなさい、お式に来れなかった友達がお祝いに駆けつけてきてくれて、今までお喋りしていたの。今日は疲れたからやすみたい」と言った。(婚前交渉は無かったのですか)僕の質問に、「ええ、僕は何度も要求したんですが、結婚するまでは」というものですから。

しかし、いざ結婚しても夫婦生活は容易ではなかった。何のかんのと言い訳を重ねベッドを共にしようとしない。苛立った依頼人が強引に迫ると仕方なさそうに応じるが、行為が終わるまで顔をそむけ、終わると同時にバスルームに駆け込みシャワーをし、2度と依頼人のもとに来ることは無かった。したがって、「結婚して20年経つが夜の営みは数えるほどです」と言う。依頼人はこうも言った「妻はセックスが嫌いなんです。それに腰痛もあって」しかし最近になって、久しぶりに会ったK部長にこのことを愚痴ると、(お前そりゃあ変だよ。確かに、20年も夫婦やってりゃあ今更ってなるけど、お前のところは子供だって居ないし、奥さん浮気しているんじゃあないか)そして、今日、僕の事務所を訪問したらしい。

世の中色んな人が居る。中には良子のように異性との交わりを好まない女性も居るだろうし、僕のように、女性に関心が薄い男も居る(ウソ、その反対)だから、即、不倫をしているんじゃあないか。というのは乱暴かもしれない。実は昨夜、と言って、依頼人が「今までもそうですが、最近は自分の部屋に鍵をかけ僕が入れないようにしているんです。昨日はちょっとした宴会もあって酒を飲んで帰宅したので、妻の部屋をノックしたんです。ドア越しに問答しているうち腹が立って、鍵を壊して中に入り強引にしようとしたら警察を呼ばれまして」聞いてみると、これまでも何度かパトカーを呼ばれて、「所轄では有名人です」自嘲気味に言って依頼人は悲しげに笑う。-------