探偵日記 11月08日金曜日晴れ
昨日は何となく気分がすぐれず19時前に帰宅。パジャマに着替えて早々にベッドに入り今朝7時半までもそもそした。何本か夢も見たが内容は覚えていない。勿論、酒も抜いたので朝はすっきりと目覚め、ご飯も美味しく食べれた。車が少し汚れているので、出勤は車で。事務所の近くのガソリンスタンドで、ガソリンを満タンにすることと、洗車を依頼する。店員曰く、「お客さん、水垢で汚れているところは普通の洗車では落ちません如何なさいますか」(それっていくら)僕が聞くと「1万円位です」このスタンドはハイオクがリッター187円,他よりも高い。言いなりになるのも癪だから(じゃあ若い衆にやらせるからいいよ)といって断った。僕の車は新車のベンツ550、あの店員は(あの客はヤクザかもしれない)と思っただろう。2000円も取る洗車で水垢も落せないってことがあるか。怒鳴ってやろうと思ったが止めた。最近は(利)に走る輩が多い。大手のデパートやホテルですらそうだ。倫理観の欠如もはなはだしい。日本人の品格も地に堕ちた。
一昨日、顧問弁護士とその友人という先生と銀座で食事した後、久しぶりのバーに寄った。今年2回目だから塩でもまかれるかと思ったが普通に歓待してくれた。顧問弁護士の歌を初めて聞いたが舌を巻く上手さだった。もう十数年前奥様を亡くし秘かに心配していたが、先生なりに楽しい生活を送っているようで一安心。それにひきかえ、バーのマダムのほうは痩せっこけて見る影も無かった。普段店では着物なのに黒っぽいドレス姿だったので余計そう感じたのかもしれない。まだ40代半ば、女ざかりなのに。でも人のことばかり言えない。マダムも僕のことを見て(ずいぶんしょぼくれたわね~)と思ったに違いない。何しろ最近は自分でも心底そう思うから。(笑)
七人の奇妙な男達 3
営業部長のK,アル中のT,彼女をソープランドに働かせ、自分は遊び半分で務めているMなどなど、面白いが一癖もふた癖もある強者ぞろいの勤務先もあっという間に解散になった。怪しげな高級会員制倶楽部「月山」は、予定通りオープンしたものの経営者が考えて程会員が集まらず、経営者の友人や知人の社交場にとどまった。いずれも大京観光出身の不動産業者たちで、中には、後に女優の有馬稲子と結婚したK氏、一時、プロ野球の東映を買収したN氏など、当時日の出の勢いの連中が連日連夜顔を出した。
会社が無くなるとともに犬鳴も失業したが、同僚も皆職を失った。犬鳴吾朗23歳の時である。(何をしようかな~)と考えていたら、帝國興信所(現在の帝國データバンク)に勤務していた叔父が「俺のところに来い」と救いの手をさしのべてくれて、調査の世界に入ることになった。叔父もいいかげんな人で、暫くすると「吾朗事務所を持て」と言い出した。しかし、叔父にはそれなりの思惑が有って、犬鳴事務所を持たせ自分のサイドビジネスの足がかりにしようと考えたらしい。ある時、叔父に連れられて日本橋の会社を訪問した。社長室で、「甥の福田です。今度新宿に事務所を出し独立しましたのでご挨拶に参りました」と言って犬鳴を紹介する。すると社長は「ああそうですか頑張って下さい、と言って白い封筒を犬鳴にくれた。外に出て喫茶店に入り封筒を叔父に渡すと、叔父は「お前が貰っとけ」と言う。中を見ると100万円入っていた。数年後、犬鳴は、神田の駅前事務所を出すことになるのだが、この時は新宿一丁目だった。新宿通りに面したビルの2階だったと記憶するが、家賃は3万円、住んでいたアパートの家賃が7500円の時だった。
その後も、殆ど経験の無い犬鳴探偵事務所に中小の会社から次々大金が入った。叔父は当時第二部の調査部長をしていたが、信用調査専門の帝國興信所で扱わない案件を自分がやろうとしていたようで、犬鳴や犬鳴の取り巻きを使うつもりだたらしい。というのも、「月山」の落ち武者達が(面白そうだ)ということで、犬鳴探偵事務所に入り浸っていたのだ。勿論、弁のたつKを筆頭に。したがって、犬鳴も真剣に仕事に打ち込む環境ではなく、朝ちょこっと顔を出し本来の勤務先に行く叔父を送り出した後は、それ~とばかりに仲間の待つ喫茶店に行き、Kに感化され毎日競馬場通いで明け暮れる生活だった。毎週土日は中央競馬(府中や中山)平日は、川崎、大井、船橋、浦和などの草競馬で遊ぶ。というより生活をかけて。夜になると、競馬で勝っても負けてもキャバレーに行く。当時は、1300円で飲み放題の安キャバレーが歌舞伎町に沢山有った。
そんな状態だから、叔父を経由して入った1000万円以上のお金もすぐに無くなってしまったが、大陸育ちの叔父は気にすることも無く、犬鳴の実母に「おい、吾朗は誰に似たのかな、ありゃあどうしょうもないぞ」と、笑いながら言ったらしい。たった3万円の事務所の家賃も滞納し、以後、歌舞伎町の喫茶店がKグループの本店になった。--------