七人の奇妙な男達 5

探偵日記 11月12日火曜日晴れ

昨日は、ゴルフ仲間の集まる阿佐ヶ谷のレストラン「ラ・ボール」で夕食。日曜日の月例の結果を聞こうとサンサン会のメンバーが数人集まった。僕が準優勝したことや、雰囲気等興味深そうに聞いていた。いずれ皆も参加する気でいるのは確かだ。和気藹々と2時間ばかり過ごし、湯豆腐とオムライスを食べ、焼酎3杯飲んで帰宅。
今朝は普通に起きて車で出勤。新宿御苑の駐車場に停めて事務所へ。この駐車場は都営で、3時間500円。延長料金も僅かで可なり格安である。なお、昨日の自殺騒ぎ、読売新聞の東京版を見ると、30代の女性がビルの9階から飛び降り、下で仲間と話をしていた45歳の男性の肩辺りに落ちたが幸い二人とも命に別状はなかったらしい。これからは、上を見ながら歩かなければならない。何はともあれ、物騒な世の中だ。


七人の奇妙な男達 5

やがてKは大学の同窓のNと神田に事務所を開き怪しげな商売を始めた。商売といっても形のあるものではなく「架空」の業務をでっちあげ、何となく会社の体裁だけは整えた程度であった。その頃には、犬鳴も神田駅前のビルの一室で、「日本調査代行」を設立、こっちのほうは正業で、社員も数名雇用した。ところが、事務所は出来たものの肝心の依頼が来ない。毎日が退屈でしょうがなかった。いきおい、Kの会社に行き愚にもならない話に花を咲かせて時間を潰す。そんな日が続いた或る日、Kの機嫌が良い。(どうしたの)と聞くと、「本当に国のやることってちょろいよな~」と言う。良く聞いてみると、でっち上げた会社で国民金融公庫(当時)で300万円拝借してきたという。田舎者の犬鳴はまだ借金すらしたことが無かった。どうしてもお金に困れば質屋に駆け込むのが関の山で、金融公庫がそんなに簡単に融資してくれるなんて思いもつかなかった。Kはまだ事務所を出して1ヶ月も経っていないのに、当時、無担保、保証人なしで借りれる限度額一杯借りたという。「ワンちゃんも行ってみな」Kはいとも簡単そうにけしかける。犬鳴のほうも、よ~し。とばかりに、さして必要に迫られているわけでもないのに、早速、あくる日に大手町の国民金融公庫とやらに押しかけた。

用件を書いて待っていると、受付の女性が犬鳴さ~んと呼ぶ。返事をして厳しい顔をした男性の机の前に座る。「新規のご融資ですね」(ハイ)「あのね~興信所や探偵社はここではお貸しできないんですよ」(どうしてですか)「職業コードっていうのがあって、お宅らの商売はその範疇に入ってないんです」(ああ、それって差別ですね。お国の機関がそんな差別をするんだ。ちょっとおかしいんじゃあないのか)犬鳴もまだ若かった。頭の隅には、詐欺師のKのことがある。あんな奴が借りれてなんでこの俺が。理不尽ではないか。そんな思いと憤りでカっとなった。驚いたのは公庫の担当者である。店内の職員や来客の人たちが何事かと耳をそばだてているのが分った。さらに追い詰める。(いいんだよ。あんた達はそこらの得体の知れない会社にはホイホイ貸して、俺を門前払いするんならこっちにも考えがあるよ)と、まるでヤクザだ。担当者はほとほと困ったような顔で犬鳴を見ている。犬鳴のほうはてこでも動かないぞ。という態度で腰掛けている。とうとう、というか、案外簡単に担当者のほうが折れた。「犬鳴さん良く分りました。ただ、最初から満額っていう訳には参りません。どうでしょうか、とりあえず最初は50万円っていう事で。」犬鳴は、何だ、たったのそれっぽっちか。と思ったが、事務所の家賃の10か月分である。まあいいか。と思い、それでも不満げな表情で承知した。

あの時、担当者は何を思ったか。自分よりうんと年下のアンちゃんに凄まれ不承不承融資の約束をさせられた。焦げ付いたらどうするつもりだったのだろうか。たかが50万円である。不良債権として簡単に処理できたのだろうと思うが、当時は、田中角栄の列島改造論がもてはやされていた時代で、日本全体がイケイケの世相だったのかもしれない。それでも翌日、担当者が事務所にやってきて一通りの調査をして帰り、数日後、融資が実行された。勿論、きちんと返済し、徐々に融資枠が増え一時は1000万円以上の融資を受けたことも有るし、今でも時々お世話になっている。会社の実態すら調べず300万円貸したKはただの1円も返済しなかった。Kの会社は「児童情操研究所」という名称で、幼児向けの絵本を制作する触れ込みだったが、実際には何もやらず、その後、とんでもない詐欺を働いた。-------------