七人の奇妙な男達 4

探偵日記 11月11日月曜日晴れ

土曜日は翌日の月例のためゆっくり起きて14時前に自宅を出発。16時過ぎに栃木県小山市のホテルに着いた。ホテルと言ってもビジネスで、朝食付き1泊5500円。駐車場代300円を合わせて5800円。チェックインすると、ホテルの並びに有る居酒屋「庄屋」の、ドリンクが1杯サービスになる券をくれた。ベッドで横になってシニアの大会を見る。最終18ホールのロング、共に11アンダーで並んだ室田と奥田の一騎打ち。賞金王が決まっている室田と、シニアでまだ未勝利の奥田、気持ちの上で室田が有利。ところが、2打目を先に打った奥田が2オンしたのを見た室田は(自分も乗せなければならない)と思って力んだか、池ポチャしてしまった。2オンの奥田と、4オンの室田、誰が見ても奥田の優勝は固いところ。奥田のファーストパットはややショート、室田のパーパットが決まれば今度は奥田にもの凄いプレッシャーがかかる。ところが室田がはずし、奥田がバーディパットを決め勝負あった。僕としては、何時もへらへらしている室田より、苛められっ子のような表情の奥田靖巳を応援したい。良かった良かった。
夜、せこい僕はサービス券を握って居酒屋へ。一人で来ているのは僕だけ、カウンター席に座らされ、サービスの券を女子店員に渡すと、思い過ごしだろうか(フン)というような顔をされた。ビール1杯、焼酎3杯飲んで、海鮮サラダ、焼き鳥の盛り合わせ、おしんこ、を食べてホテルに戻る。しかし、枕が変わったせいかなかなか寝付けない。結局、12時過ぎまでテレビを見てしまった。こんなことなら、朝早く家から出たほうが良かった。

日曜日、6時半起床。顔も洗わず1階のレストランへ。バイキングの朝食を食べる。7時20分ゴルフ場へ。馴染みのキャディ達が歓迎してくれる。8時14分OUTスタート、天気予報であんまり脅かすものだからドタキャン続出で、僕達の組も3人でプレーすることになった。(荒れ模様の天気)のはずが、雨は一滴も降らず風?というぐらい無風。朝一番のティーショットはやや左にふけたがまずまず。僕は初めての月例だが、あとの二人はもう何度も出ているらしい。共に、65歳以上なのでシルバーマークでのプレー。ただ、何となく気合の入らない1日で、上がってみれば何時もと変わらぬスコア。それでもハンデに助けられ準優勝だった。17時前に帰宅。早々に夕食を済ませ20時頃に就寝。今朝少し頭痛がしたが何時もの時間に起きて、普通に事務所へ。

七人の奇妙な男達 4

そうした生活をしながらも、勤労意欲の旺盛な犬鳴は、比較的自由時間の取れる興信所に入り、再び見習い調査員となって、時間があれば叔父の後を尾いてまわった。(どうしょうもない)甥だが、可愛い甥でもあったのだろう。何かと仕事を探してくれて、勤務先で貰う給与以外の余禄を与えてくれた。下戸の叔父は夕方には鬼のような女房の待つ家へさっさと帰宅する。犬鳴には怖い怖い叔母だった。だから叔父に誘われてもめったに遊びに行ったりしないが、ある時、叔父に懇願されて叔父宅を訪問することになった。世田谷区経堂にある家に着き、玄関のベルを鳴らす。するともの凄い形相で叔母が顔を出し「吾朗さん、家に入って見てください」と喚く。すると、奥のほうで叔父が「この気違い女出て行け、おお、吾朗か早く入れ」と怒鳴る。犬鳴は恐る恐る玄関を上がって、叔父のいる応接間に行くと、大島を着た叔父がにやにやしながら「このバカ女」なんて言っている。叔母のほうは口の中でぶつぶつ言いながらも、犬鳴をもてなそうとキッチンに入った。本当に、キッチンに入ったばかりなのに、「おい、お茶はまだか。このうすのろ女、何をやってるんだ」とまた怒鳴り始める。

落ち着いて部屋を観察すると、カーテンは引き千切られ、本来白いはずの壁は前衛画家が描いたようなめちゃくちゃな色彩に変わっている。叔父が言う「これはみんなあのバカ女の仕業だ」叔母がキッチンから反論する「吾朗さん私じゃあありません。これはみんなお父さんの仕業です」「なにお~」「だってそうじゃあないですか」また喧嘩のぶり返しである。叔父はしきりに「吾朗たまには遊びに来いよキミ子も淋しがってるから」と誘うが、こんな状況なら二人とも淋しくなんかないだろう。「晩御飯ぐらい食べて行け」と引きとめる叔父を振り切って早々に退散した。
その叔父も叔母のキミ子さんもいなくなった今、時々犬鳴きは思う。時には包丁まで持ち出すような喧嘩をしながら、あの夫婦は何が楽しくて長年連れ添ったのだろうか?叔父は二言目には(バカ女)と罵ったが、叔母の力でひと財産築いた。たかが興信所の調査員の叔父が方々に不動産を所有出来たのは、間違いなく叔母の手腕の賜物である。犬鳴はとうとう理解できなかったが、案外お互いに認め合っていたのかもしれない。

犬鳴はその後、興信所の歩合調査員(1件調査して報告書を会社に出せば2000円~3000円くれた)から、探偵社に移って、次第に調査の面白さを覚え(これは案外俺に向いているのかもしれない)と、思い始めていたが、Kグループとの付き合いも捨てがたく、夜な夜な彼らと遊び呆けた。前にも書いたが、Kは中の区の大地主の家庭に生まれ何不自由なく育った。幼少の頃、外に出て遊びたがるKに対し、(危ないからここでお遊び)と言って、屋敷内の庭がKの遊び場だったらしい。やがて大学を卒業、縁故でNHKに入社。主に総務畑を歩き、退職時は厚生部に在職していた。まだ、入社したての頃、先輩に誘われて府中競馬に行った。後で思えば、これがKの人生を狂わす発端になったのだが、先輩の伝授で買った馬券が大当たりして、当時のKの給料の数倍になった。世間知らずのお坊ちゃまはこの日を境に競馬にのめりこんでしまった。その頃には、祖父や父も亡くなっており、なんでも言いなりになる母親と二人暮らしだったKは、府中競馬場の近くに引越した。それから数年で、中野区内の昭和通(早稲田通りとも言う)の両面は総てK家のもの。とまで言われた資産は跡形なく失うことになって、犬鳴と知り合った時は安キャバレーのホステスの部屋に転がり込んでいた。-------------