七人の奇妙な男達 8.5

探偵日記 11月19日火曜日晴れ

身元調査が遅々として進まない。依頼人はその女性の顔とフルネームしか分っていない。結婚相手として真剣に考えているという。決してストーカーにならないという約束の元に受件した。その女性は銀座三越の、女性用下着売り場に勤務している。犬鳴探偵事務所の調査員は制服の胸についているネームプレートからマルヒを特定して、まず、現住所の割り出しから着手した。しかし、自分の名前をつけていない女性も大勢居て的が絞れない。身長155~6センチ、中肉というだけでは判断が難しい。というのが調査員らの報告であった。それでも、何回か尾行調査を繰り返しやっとマルヒの住むアパートを割り出したが、その後が進まない。そのアパートは極最近転居したばかりのようで、まだ段ボール箱が玄関に置かれたままになっている。いつも愚痴を言っているように(個人情報保護法)のせいで、勤務先はもとより、アパートの大家も聞き込み取材に応じてくれないばかりか下手に聞きまわると、調査の事実がマルヒ本人の耳に入ってしまう危険もある。仮に、法律がもう一つ、例えば、(張込尾行を禁止する)なんてものが出来たなら探偵は続けられない。日本も段々閉鎖的になってきた。

七人の奇妙な男達 8.5

振り返ってみると、この頃は本当に良かった。世間の人たちもみんな初心で、むやみに人を疑ったりしなかった。だから、探偵の犬鳴も七変化出来たし、KやKを取り巻く、悪さはするがちょっとお人好しな連中も生きてゆけたのかもしれない。川口市の奥のほうに雲隠れしたKとNは、やはり都内がいいのだろう、手持ちのお金が底を尽きはじめた頃、その頃は新宿に移転していた犬鳴探偵事務所に入り浸った。時は、昭和49年暮れ。言いだしっぺは犬鳴で、今考えると(何であんなことを言い出したのか)と思うぐらいへんちくりんな提案をしてしまった。その頃は、もう何年もグループといえば聞こえが良いが、昼間から徒党を組んで遊びまわっていた。そこで、いっそのことファミリーになって一緒に暮らそう。ということになった。勿論、KやNに依存は無い。その他、チンピラヤクザで、数ヶ月前覚せい剤で逮捕されたが、執行猶予で刑務所行きの難を逃れたE,Kが競馬場で知り合ったH,彼は仲間の中で一番の長老だったので、みんなから「会長」と呼ばれた。そのHの同病者だったT、二人は共に肺結核を患い、長いこと清瀬市の結核病院で療養した仲間で非常に親しかった。あとは、犬鳴の元同僚や部下のI、C、A等。総勢8名が犬鳴の提案に飛びつき方針も一致した。

当時、高田馬場、詳しくは新宿区高田馬場4丁目、早稲田通りを駅方向に進み左に入ったところに「戸塚ハイツ」という有名なマンションがあった。歌舞伎町で飲んでタクシーに乗り「戸塚ハイツ」と告げると、運転手は、「ハイ分りました。」と、すぐ分かるほどだった。犬鳴はみんなから少しづつ徴収して、10階の3LDKを契約。意気揚々と入居した。犬鳴と会長の友人T、シャブ中のE,犬鳴の関係者I,とCには妻子もいる歴とした家庭があった。したがって、毎日寝泊りするのは4~5人だから窮屈な思いはしなかった。それでも犬鳴はほとんど家には帰らずK達と生活を共にした。犬鳴探偵事務所は引き払い、マンションに引いた数本の電話の一つを、探偵事務所の専用にして。

しかし、結局僅か1年で解散する羽目になったが、くだらなくも面白かった期間だった。朝起きるとNお母さんが美味しい朝食を作ってくれている。ご飯を食べあとはめいめいがしのぎ(仕事、稼業)に出て行く。出る必要の無いものは麻雀か花札で遊ぶ。資金のある時は競馬。夕方、みんなが帰ってくるとお母さんのNのご飯が待っている。これがまた頗る美味しい。当然だが、夕飯の時は宴会になって、しこたま飲み、勢いがつくと、誰ともなく(歌舞伎町に行こう)ということになりタクシーを連ねて繰り出す。お金がない時は(まあ、そんな日のほうが多いのだが)マンション近くの居酒屋でオダを上げる。もう金額は忘れたが、毎月末に家賃と食費をKに渡しNと共にその中でやりくりしてくれた。大の大人、それも男ばかり8人で営む生活は、周囲から見れば可なり異常な光景だったと思うが、実際に、瑣末なことで良く喧嘩した。或る日の夕餉の時のこと、誰かが(ワインは冷やして飲むのがいいか、それとも温めたほうが美味しいか)と、言い出した。犬鳴は(どっちでもいいじゃん)と思ったが、おれは冷やしたほうが、いや、温めて飲んだほうが。と意見が分れ挙句の果てに(表に出ろ)にまで発展するのだ。勿論、平時は仲良しなのだから本当の喧嘩沙汰にはならないが。あと、ライオンと虎はどっちが強いかとか。ーーーーーーーーーーーーーー