七人の奇妙な男達 11

探偵日記 11月25日月曜日曇り

連休も何となく過ごし今日からまた新しい週の始まり。午後は雨になるらしい。恐らくこの1週間もあっという間に終わるだろう。そうしたら魔の師走、ああ、恐ろしい。

七人の奇妙な男達 11

事務所のほうも少しずつ依頼が入るようになり、かって勤務した東京探偵事務所の下請けもしながら、どうにか食っていけてた犬鳴きに、或る日、思わぬ大金が入った。昭和52年夏、依頼人が人差し指を立てて「犬鳴君これでいいかな」と言ったので、(結構です)と応じ、約束の日依頼人の会社を訪問した。大きな社長室の豪華な応接セットに座って待っていると社長が現われ「犬鳴君お世話になったね有難う」と言い、隅の机に大人しく腰掛けている秘書に「あれ持ってきなさい」と命じた。一旦部屋を出て行った秘書が紙包みを持って入ってくる。犬鳴はちょうどコーヒーを飲もうとカップを口元に運んだ時、秘書から受け取った紙包みを犬鳴の目の前に置き、中を取り出して「ハイこれ」と言って差し出した。100万円の束が10こ、いくら数字に弱い犬鳴でも1000万円ということぐらい瞬時に分った。思わず咽そうに成るところを必死に堪え、同時に、こんな金で驚いたりしないぞ。という気概を示し、(有難うございます)と言って受け取った。

しかも社長の超プライベートな揉め事を解決した仕事で、領収書は必要なかった。犬鳴も正直なところ、社長の人差し指を見て100万円かな、いやいやもしかしたら10万円かもしれない。と思っていたのだが、1000万円とは想定外の金額で、それだけ社長にとって重大な問題だったのかと思い知らされた。しかし、1000万円という金額は当時の犬鳴にとって破格で、数年前、大手建設機械メーカーから得た成功報酬3600万円とは異質の有り難さがあったし、喜びを感じた。高田馬場の事務所の家賃が60000円、歌舞伎町の安キャバレーは3000円ぐらいで行けた時代である。この頃、犬鳴家は出来の悪い女房と、目に入れても痛くないと思えるほど可愛い娘、あることで、この子は神童に違いないと錯覚した息子の4人家族だった。犬鳴がまず考えたのは(そうだ家を買おう)だった。翌日から不動産屋めぐりをして探したが、例を挙げると、三鷹市牟礼の、土地30坪、4LDK2階建て建売住宅で1500万円であり、500万円足りず、それじゃあ。という訳で、電車の吊広告で(あなたもマイホームが持てる。費用は10万円のみ)を見て、ハウスメーカーのバスで大勢の人たちと一緒に、埼玉県毛呂山まで見学に行ったりしたが、遠いなんてものじゃあない、高田馬場の事務所へ通うのに、当時のお金で往復780円もかかる。しかも酷い田舎で犬鳴の郷里と変わらない。女房も「私はこんなとこ嫌よ」というのでそれも諦めた。

犬鳴のそんな苦労も知らずKやT、会長や信用金庫の内川らが毎日出入するので、そのたびに歌舞伎町に繰り出す。彼らは、犬鳴に大金が入ったことなど知らないはずなのに、独特な嗅覚で擦り寄ってくる。まあ、自分だけいい思いをするのも気が引けるので、ちょうど夏休みに入ったので子供達を連れて3泊で西伊豆に海水浴としゃれてみた。西伊豆から帰った翌日、歌舞伎町のクラブのホステスと沖縄へ。石垣島に2泊、那覇のリゾートに2泊、家族の時の費用の数倍要した。大金といってもあっけないもので、夏が終わる頃には殆ど使い果たし、楽しい思い出とホステスちゃんとの腐れ縁だけが残った。--------------------