偽装結婚 その9

偽装結婚 その9

伊東弘美こと、田中幸子の私生活は極めて質素なものが感じられた。合計7日間、ほとんど外出せず、たまに普段着で出かけるが、近所のスーパーで食材や日用品を買うぐらいで、勿論外食もせず、訪れるものも皆無だった。この間、家に引きこもっていたということは、月形の新たな斡旋もなかったのだろうか。1対1のお見合いも集団で行われるお見合いパーティーも催されなく、二人にとっての「カモ」が現れなかったことになる。調査は継続して行われたが次の週もほぼ同様の結果に終わった。

ガスの開栓日時及び契約者の氏名で、マルヒを田中幸子と特定したが、或いは他人名義ということも考えられる。僕は、マルヒの実家の内偵に行く調査員に命じ、マルヒの写真を持たせ、更に念を入れさせた。(間違いなく写真の女性が田中幸子です)調査員からの報告を受けて、報告書の作成に着手した。将来この報告書は裁判の証拠資料として、例えば、(甲○×号証)として、原告側の訴訟資料に加えられるはずである。場合によっては、マルヒを犯罪者にする裏づけとなる。したがって、どこかにミスがあってはならない。

もう随分昔の話。報告書に留まらず、担当した調査員として僕が証人になった事件が有った。他愛も無い不倫調査である。マルヒの夫が相手女性の部屋を訪問した日のこと。夫側の代理人は(その日、被告は当該女性のもとを訪れていない)と主張。

まだ、そんなに写真を重要視していない頃で、出入の瞬間の写真を添付していなかった。当時はそれでも、裁判官は、探偵社(調査会社)の報告書を採用してくれた。証言台に座っている僕に、被告の代理人が問う「証人に聞きます。O月×日午後5時50分。この時の天気を言って下さい。」僕は答えられなかった。予想もしなかった質問である。今なら、ちょっとお待ち下さい。と言って、スマホで検索も出来ただろう。しかし、もう40年近い前のことである。(良く覚えていませんが雨などは降っていなかったと思います)次にこんな質問をされた。「証人に聞きます。被告の部屋はアパートの一階8号室ですが、ドアノブは何処に付いていましたか?」

僕は、この弁護士は何言ってんだろう。そんなもの右でも左でもいいじゃねえか。第一そんなことは覚えていない。(覚えていません)代理人「良く考えて思い出してください。ノブが真ん中に付いていることはありませんよね、右だったでしょうか、左だったでしょうか」僕は少々馬鹿馬鹿しくなって、(左だったかな)と答える。ここで被告側の代理人はさも満足したように、裁判長に一礼し「私の質問を終わります」と言った。その後原告側の代理人から質問されて僕の役目は終わったが、その後、再び被告側の代理人が論争を開始。何と、「先ほど証人は雨は降っていなかったと言いましたが、ここに、気象庁の記録があります。それによりますと、当日、当該時間帯は小雨が降っています。また、8号室のドアノブを左に付いていたと証言しましたが、8号室のドアノブは右側に付いています。」と言って、1枚の写真を振りかざし、「裁判官、これが8号室のドア部分です」とまくし立てた。

「したがいまして、証人が勤務する探偵社の報告書は作為的に作られたもので、信用するに値しません」と来た。僕は、ヘー。と驚いた。どんなことでも言いようはあるもんだ。もう3年以上前の調査である。まさか今頃になって争ってくるとは思わなかった。結果として、裁判官は被告側代理人に対し「屁理屈を言うな」みたいなことをいって、同人の主張を退けたが、僕は、以来、例え裁判になろうとなるまいと、調査方法や報告書の作成には充分注意するようにした。

少しはなしが横道にそれたが、本件のように、間違いなく訴訟に発展することが予想される場合、調査の段階から慎重にならざるを得ない。万が一敗訴になれば、弁護士の信頼を失う羽目になる。今まで、僕は、僕の事務所の報告書で負けた事は一度も無い。と胸を張って言ってきた。ところが、1年前、100パーセントの証拠を示したにもかかわらず完敗した。被告と、相手男性が上半身裸で抱き合っている写真を添付したのに。である。裁判官の言葉「例え二人が半裸で寝ていたとしても、直ちに不倫とは言い難い」とさ。最近の裁判所は、検察も同様、変な人が居る。

田中幸子の調査を終え、次に、月形の身元調査に移行した。僕は、月形こそが主犯であると思っているので、張込尾行を中心に念入りに行った。------