民法第93条(95条に錯誤があるらしい)に、「心理留保」という条例があるそうだ。相手がたの代理人曰く「被告はジョークで書いたのであって、原告も冗談半分で受け取ったでしょう。最初から支払うつもりは全くないし、念書を受け取った貴女も彼に支払い能力の無いことを承知だったでしょう。」と反論してきた。結局、裁判所も被告側の言い分を認めて、念書や誓約書にしたためられた文言そのものを否定したという。例えば、僕がクラブのホステスと親しくなって、結婚を仄めかしたが、その後、気持ちが変化して、そのホステスと別れたいと思うようになり、その場逃れに「1億円支払う」といった約束をしようと、確たる「約束」にはならない。らしい。しかしである。僕のような探偵と、社交場で知り合った女性(決してホステスさんを卑下しているわけではありませんので、誤解の無いように。僕は、相手が誰であろうと約束は守ります)との間の、酒の上でのこととは違うのである。卑しくも聖職(今となっては死語に近いが)にある教師の約束である。
僕は、依頼人の弁護士に聞いた。「じゃあ先生、世の中に約束って存在しないんですね」A弁護士は、困ったような顔をして「う~ん」と言ったまま黙ってしまった。その後、僕の能力の範囲で、色んなことをしたが、依頼人の満足を得られるような結果にはならなかった。卑怯極まりない男性教諭は教頭に昇進し、依頼人は別の中学校に転勤した。ひ弱で、入退院を繰り返したあの子も中学生になり、卒業の時、「私は将来、お母さんのために、お母さんから褒められるような大人になりたい」という感想文を書いたらしい。子供なりに、母親の苦労を理解していたようだ。最後に会った時、依頼人はしみじみとそう語った。あの男性教諭はもう校長になっただろう。三人の子供たちも成長し、社会に出ている子も居るに違いない。その子達が結婚する時、自分の戸籍に、母親の違う妹が居ることを知った時、「認知」をした父に対し、「父に褒められるような人間になりたい」と言うだろうか。 実際にはまだまだ書くことは多くあるが、一旦、先生は終了します。