あの橋から その23

探偵日記 12月24日月曜日イブ 晴れ

一昨日は、顧問先に誘われて、長野県佐久市で行われる細川たかしのディナーショーを見に行った。18時から食事、19時20分ショーが始まった。颯爽と登場した往年の大スターは、(ちょっと太りすぎなんじゃあない)と思ったが、着物がよく似合い、何より歌が抜群に上手かった。良くあんな声が出るものだ。と、思うぐらい、内心、馬鹿にしていたけど来て良かった。食事もフレンチで、地方都市のホテルにしてはまずまずである。20時20分、ちょうど1時間ピッタリにショーが終わり、誘う人もなく一人淋しく部屋に帰って、風邪薬を飲んで就寝。

翌朝、7時に朝食を摂り、佐久平8時23分発の新幹線「あさま」で帰京。麹町の弁護士事務所で打ち合わせして、正月用に床屋さんに行って、18時阿佐ヶ谷に、行きつけのおすし屋さんで夕食を済ませ20時に就寝。風邪っ引きとはいえ真面目に過ごすここ数日である。



あの橋から その23

子供たちの白い目に耐えながら二日酔いの状態で土日を過ごした。特に、長男は、タクシーの運転手に手伝って、意識の無い末子を家の中に運び入れたりしたので不機嫌である。泥酔した母親のだらしない姿を見て何を思ったか、随分後になって、「瞬間的には、どうしょうも無い母だと思ったが、すぐに、ああ、もうこれで大丈夫かな」と思ったという。少し前から、母の変化を感じていた長男は、自分たち母子を棄てて女のもとに去った父との間で、母なりにけりをつけたのだろう。と思えたし、他に、生きる目的というか、簡単に言うと、(生きがい)みたいなものが見つかったのだろう。と、思い安心した。と言っていた。勿論、まだ18歳の少年に、女としての微妙な変化までは見抜けなかったはずだが、本能てきにというか、本当の親子だから分かり合える肉親の情のなしえるものかもしれなかった。

事実、それからの末子は生き生きと生活し、今まで誘われてもほとんど断っていた友人との会合も進んで参加したし、むしろ末子のほうから企画して、食事会を催うすこともあった。そんな友人のほとんどは、末子の特別な事情を知らず、末子がふざけて言う(おとっとが出て行っちゃたのよ)という意味を判じかねる者も居たぐらいだった。勿論、末子も完全に吹っ切れたわけではない。まだ離婚も成立していないし、子供の養育費や家のローンも片付いてはいなかった。探偵事務所の調査で、実態は明らかとなり、相手の女性についても理解した。むしろ、私よりあの女性のほうが雅之を必要としているのかもしれない。(じゃあ、熨斗つけてくれてやる)と思える瞬間もあるが、何となく、もしかしたら、テレビ局の悪戯で、どっきりカメラかなんかじゃあないか?と思ったりもした。

そんな或る日、末子の携帯に夫からメールが届き、(総て承知した、明日、慰謝料の2000万円を振り込むので、渡してある離婚届に署名捺印して、郵便受けに入れておいてくれ)との由。末子は短く(承知しました)とだけ返信した。

斜め向こうに座っている上司をチラッと見ると偶然目が合った。それだけで、体中がかっと燃え上がり頭がクラっとし、末子は恐る恐る周りを見回した。こんな大きな変化を誰かに見咎められてはいないか。彼との関係は絶対知られてはならない。今の末子には、夫とのことより、彼とのことのほうが重要で、1日の生活の殆どを彼との関りに費していた。それは、実際に交わっているとかではなく、末子の意識が彼に占有されている。ということで、末子は、私は一人じゃあない。何時だってあの人がそばにいる。そう思うだけで満足し、幸せだった。

「何か進展があった?」(ハイ、今メールで、明日振り込むそうです。まず離婚を成立させて、その後のことは、貴方の書いたとおりにするようです)「そう、じゃあ今日どこかで会おう」仕事中、周囲に気を配りながらこんなやり取りをして、退社後、その頃には店の名前を確認しあう必要がないくらい、お定まりの行きつけになっていた喫茶店で会った。----------