あの橋から その27

探偵日記 12月28日金曜日晴れのち曇りのち雨?

今日で世間的には御用納め、小社も17時から忘年会を予定しており、明日から9日間の正月休暇に入る。しかし、そうは問屋が卸さない。某地方都市で2件の特殊実態調査を抱え、調査員は全員ギリギリまで仕事。勿論、忘年会どころではない。さて、この期間を休日に定めたのは、明治6年、時の政府が決め、まず、お役所が、これ幸いと実施し、これに一般の企業が真似をした。学生の頃、郷里に帰るJRの指定席切符を確保するのに、東京駅で長時間並んだ記憶がある。僕は、来年1月3日、古希のお祝いを兼ねた同窓会に出席するため山口県に帰る。帰京は同5日、一番混雑する日であろう。だから、前もってネットとやらで切符を購入した。ある時、秘書のおばさんが(ハイこれ)と言って切符を渡してくれた。楽ちんである。(笑)

註)秘書のおばさんという表現は間違いでした。実は僕の奥さんです。ここで訂正いたします。



あの橋から その27

その日はかろうじて倒れることも無く無事に帰宅できた。不思議なもので、家が近かづくにつれ症状は治まり(ただいま)と言ってドアを開けるときには、健常体に戻っていた。精神科医は末子の症状を(トラウマ)とし、安定剤のような薬をくれたが、末子は一度も飲んだことがない。確かに、夫の変心はショックだったし、それからの生活や、実際に、夫が家から身の回りのものを持って、相手の女性が住むマンションに行った、11月30日のことは、末子に、大きな精神的外傷を与えたのであろう。しかし、何故、あの橋なのか。一連の悪夢のような出来事を思い出すのは、他にいくらでもあった。家の中のは至る所に夫のにおいが染み付いている。はなこを散歩する時、(ああ、以前は夫がこのリールを持って)などと、ある時は懐かしく思い出す。しかし、だからといって体調に何ら変化は起きない。多少憂鬱に成るくらいである。

それから何度か試してみた。日中、意を決して橋のほうに向かったこともあるし、散歩の時、はなちゃんの行きたいようにしていたら、一目散にあの橋に向かって走り出した。しかし、いづれも上手くいかなかった。用水路に沿って歩いている時はなんでもないが、橋が目に入った途端、足が動かなくなり、呼吸困難に陥る。相談した医師は「何処かにお引越しされたら如何ですか」とも言ってくれた。末子も、出来ればこの町を離れたい。と思ったこともあるが、子供たちに猛反対された。彼らにとって、この町は(故郷)なのだ。特に、長男の翔は、人ごみや、喧騒な場所を嫌う傾向があった。

まあいいや、末子は防衛手段として、(あの橋)に近づかないようにした。終バスに乗り遅れた時はタクシーに乗り、はなちゃんの散歩は強引にコースを変えた。そんな或る日、勤務先で人事異動が発表され、永瀬が取締役に内定し、6月の株主総会で正式に発表されることになった。お昼休みに(おめでとうございます)という短いメールを送る。午後6時近くになって、「今日時間があれば少し会えるかな」という永瀬のメールが届き、何時もの喫茶店で会うことにした。------