あの橋から その1

探偵日記 11月25日日曜日

何時ものように朝5時に起きて、タイちゃんの散歩。妻が「ご飯8時くらいでいい」と聞くので、(事務所に早く行きたいから8時半までに頼む)と言ってベッドにもぐりこむ。何時もはすぐに寝れて、8時に起こされたときは、たいがいぐっすり寝入った時が多く、無理やりに起こされ睡眠を妨害されたような気持ちでちょっぴり不機嫌になる。しかし、今日はなかなか寝付けず8時半になった。ところが一向に(ご飯ですよ)という連絡が無い。

というのも、我が家は広大な敷地の上にあり、およそ1500坪の大邸宅である。したがって、仕度が出来ると電話のベルを鳴らして合図するしきたりになっている。(ウソ、そんなことあるわけが無い、阿佐ヶ谷で一番小さい家といってもいいぐらい。ただ、僕の部屋が2階で、階段を上がってくるのが面倒なだけ)どうしたんだろうと思って、妻の部屋に行き、ドアをノックして入ってみると、昨日パリから帰って来た妻は、時差ボケなのか高いびきでぐっすりお休みになっている。無理に起こして機嫌を損なっても。と思い、待つこと3時間。腹も減ってきて痺れを切らせた僕は再び妻の部屋に。しかし、まだ寝ていて声をかけても起きない。一緒に寝ているタイちゃんがベッドから落としたらしい枕を投げつけてもダメ。(ねえ、ご飯はどうしたの)と、揺り起こしてやっとお目覚め、「ウン、なに?」って。これって、離婚理由にならないかな^

その後、めでたく朝ごはんにありついて、午後1時前事務所に着く。------



あの橋から その1

末子は自分の名前が嫌いである。心ある友人らは、そういえばそうよね。と、同情するが、それでも笑いながらだ。というのも、末子の姓が四方で、(四方末子)と称す。中学生の頃、同級生の男の子は、面白がって、(おい、世も末・・子。)と呼ぶ。普通、人は皆、自身の名前に親しみ、ある人は、誇りに思い、ある人は、責任すら感じるし、もう一人の自分に対し愛情を抱くものだ。しかし、末子は四十数年生きてきて、一度も自分の名前を好きになったことはない。27才で結婚し、加納末子になって多少名前の呪縛から解放された感じはしたが、何かの時、旧姓にふれると、途端に落ち込む。

先生ですら、出席の点呼の際、末子の名前を読み上げる時苦笑することもあり、或る日、母親に「お母さん、どうしてこんな名前を付けたの」と、抗議したことがある。母は「おじいさんが付けたから知らないけど、良い名前じゃあないか、名前なんてどんな名前でも次第に慣れて好きになるもんだよ」と言ったらしい。祖父(四方末次)が、末子が、その名の通り末っ子だったため、息子の意見も聞かず、自分の名前の一字を取り(末子にしなさい)といって命名された。祖父はその地方の有力者で、代々醤油を造る四方家の何代目かの当主であり、かって、県議も勤め地域の住民らの信望も厚かった。まだ30そこそこの末子の父親が異を唱えること等出来なかったらしかった。

それでも(すえちゃん)と呼ばれる末子は周囲から可愛がられ、また、非常に可愛い女の子だったようだ。中学から付属に入りそのままストレートで大学を卒業。その頃には、名付けの親ともいうべき祖父は他界し、(東京に行きたい)という末子の希望はすんなり叶えられた。兄は家業の醤油会社の取締役を務め、当然ながら、将来は父の後を継ぐものと決まっていたし、姉は、やはりその地方の素封家の長男に嫁いでいた。------