あの橋から その29 その30

探偵日記 12月31日月曜日(大晦日)晴れ

佳い年末といえる。暖かで風もなく、さぞかし市井の人たちも気持ち良く新年を迎える準備をしているだろう。我が家も、恒例になっている妻の実家でお正月を過ごすため、自宅でおせちを作って持参する。僕は、その運び屋だ。午後6時までに来いというので、ちょっと事務所に寄りこのブログを書いている。調査員2名も出勤しており、昨日まで行った尾行調査の報告書を書いている。

あっという間の1年だった。それなりに色んな出来事があって、苦労もし、また、大いに喜んだりしたが、全体に低調に終わった。来年は自分自身に枷をかけ、日々の生活を健康的に過ごす予定である。(古希)を無事通過できれば良い。



あの橋から その29

渋谷から田園都市線に乗った途端、猛烈な酔いが回ってきた。電車は混んでいて末子は吊革にもたれて立っていたが、どうかすると、前の座席に座っているサラリーマン風の男性に崩れ落ちたりして、その都度(すみません)と謝る始末で、後から考えて、周りの人たちはそんな自分をどう思ってだろうか恥ずかしくなった。駅からタクシーで帰宅。長男はまだ帰っていなかったが、長女の茜から冷たい視線で睨まれた。

その夜は、正体なく寝入って、朝目が覚めてから急激に淋しくなり、布団の中で声を出して泣きじゃくった。死にたくなるほど辛い思いをした末子に、神様がくれたささやかな幸せも数ヶ月で失った。あの時、嘘でもいいから、永瀬に(重役の椅子より君が大切だ)と言われたらどうだろうか、OL生活の長い末子は、仮にそう言われても永瀬との距離を置いただろう。こうして、一旦、関係を絶たれた以上、数年後、永瀬が、組織の呪縛から開放されても再び縁りを戻す気持ちにはなれない。逆に、末子のほうから、(自重しましょう)と言った場合、何年でも待てるような気がする。永瀬の言い様は、目の前のご馳走に我を忘れ、何が何でも末子との関係を解消し、清廉潔白を装いたい思いが明らかだった。(嘘も方便)と言うではないか。本当に嘘でもいいから(世間を欺き通そう)と言って欲しかった。

翌週の月曜日、末子は何事も無かったような晴れ晴れとした気持ちで出勤した。こんな気持ちが、吹っ切れた。というのだろう。短い永瀬との密会の日々は幻だったようにも思え、最初からそんなことは無かった。心底そう思った。会社で永瀬と顔を合わせても、普段どおり、否、前よりも明るく淡々と接することが出来、社内で(末ちゃん変わったわね)と言われた。この1年、末子は劇痩せし、何時も俯き加減で極端に口数も少なかった。本来の末子は明るいほうで、しかもお喋りだ。芯が強く、一旦言い出したら後に引かないような頑固さもあるが、総じて、温厚な性格といっていい。悲しみの淵にいた末子を永瀬は救ってくれた。そして、もとの末子に戻り、これからもその状態を続けられそうに感じた。

その後、予定通り永瀬は取締役の末席に就き、同時に本社に戻って、もう、末子と会うこともない遠くに行ってしまったが、末子は悲しいとか、淋しいなんて思わず日々、意欲的に過ごすことが出来た。時々考える、永瀬の事は自分にとって何だったんだろうか。(免疫)って考え、思わず一人笑いしたこともある。糸ちゃんが聞いたことがある「ねえ、その人ってどんな人一度会わせてよ」末子は、ウン、と応え、近いうち本当に会ってもらうつもりになっていた。

あれから7年の歳月が流れ、加納家の様子も大きく様変わりした。長男の翔は国立に入り、今年の春卒業の予定である。茜も大学生、大いに青春を楽しんでいる。最近、トイレに入ってコソコソ電話なんかしている。きっと恋人が出来たのだろう。卒業後は米国で、なんて、言っているが本当にそうなりかねない。翔もオーストラリアの動物園に就職が決まった。小さい頃から動物が好きだったので、希望通りの道を進んでいるようだ。

末子も51歳になった。もしかしたら、あと数年で一人ぼっちになるかもしれない。そんな或る日、久しぶりに雅之からメールが入った。-------



あの橋から その30(最終編)

永瀬との別れがもう一つ末子を強くした。あれから何度か恋をした。もう同じ会社の人は懲り懲りと思っていたが、自分の生活圏以外ではそうそう出会いがあるはずも無く結局、同僚や、取引先の男性になった。つい最近まで付き合っていた人は、別の支店に勤務する男で、かって、末子と同じ支店だったことがある。好成績の社員を労うパーティーで再会し、間もなく深い関係になった。勿論、相手には家庭もあったが、末子は割り切って昔のように罪の意識を感じることも無かった。ただ、そんな刹那的ともいえる生活に飽きた頃、何んとなく自然消滅してしまった。何度か、相手からの誘いを断っているうちメールも来なくなった。ああ、こんな別れ方も有るんだなあ。と思っていた時、メールが入り、発信者を見ると、今は懐かしいだけの名前が読み取れた。

メールには、「一度会ってくれませんか」とある。8年前、不倫の果てに、「これ以上、君と生活はする可能性は0」と言い、末子が救急車で運ばれる時、救急隊員に「この人は神経を病んでいるんです」などと言って、さっさと家を出て行った人からのメール。(何を今更)と思う気持ちには変わりはなかったが、何故か末子は迷った。公正証書にした養育費の支払いは茜の分がまだ2年ちょっと残っている。仮に、今仕送りが途絶えても特別困ることは無い。家のローンも終わり、多少の蓄えもあった。

その後、雅之は、事あるごとに末子と会いたがったが、末子が応じることは無かった。ただ、メールの返信は欠かさずした。メールの内容は(いかに自分が不幸せか)を、訴えるものばかりで、末子はその都度(でもそれは、誰でもなく貴方自身が決めたことでしょう)と返信したが、雅之は、だらだらと愚痴を書き連ね、末子が無視して、その時は収まった。今では、加納家の母子が雅之のことを話題にすることは皆無となっていた。ただ、ちゃっかり屋の茜は時々会っているようだった。末子の知らない洋服を着ていたり、末子が渡していないのに、ちょっとしたお小遣いを持っていたりする。しかし、末子は見てみぬ振りをした。

迷った挙句、日曜日の昼間雅之と会う約束をした。(1時間ぐらいなら)とメールすると、「有難う感謝します」と、大げさに喜びを表した返信が来た。少々気が重かったが約束の喫茶店に行くと、もう大分前から来ていたような雅之が、椅子を立って自分のいる場所を知らせてきた。(お久しぶり)末子は何の感情も加えず挨拶を終えると雅之の前に座る。「どうも、無理言って済まなかったね」雅之も応じる。8年ぶりに見る見る元夫は、中年太りか一回り大きく感じたが、肝心の覇気は全く伝わってこなかった。初めて知り合った大学時代、雅之は人並み以上に素敵だった。目立たない感じで、何時も同級生の後ろから末子を見ているようなところがあって、「交際して欲しい」と言われた時、エッっと思ったぐらい、印象の薄い人だった。付き合い始めても、末子を引っ張ってゆくようなところはなく、何かを決める時、必ず末子の意見を尊重し、自分の気持ちを顕すときは、末子の顔色をそっと窺うような素振りをした。(小心者)というのが、周囲の一致した彼に対する評価であった。

そんな男が、8年前、自分ばかりか、可愛い二人の子まで棄てて、不倫相手の女性のもとに走ったのだ。そんな勇気がどこに有ったのか。そういえば、あの福田という探偵さん(ご主人は今、強力なインフルエンザに罹っているんです。すぐに治まって帰ってきますよ)と言っていた。永瀬も同じことを言っていた。コーヒーが運ばれるまで、末子はぼんやりとそんなことを考えていた。

雅之の頭髪はかなり薄くなって、全体に白髪に近い。末子より一つ年上だからまだ52歳。また、永瀬を思い出し比較していた。確かあの時、永瀬は60歳の手前だったはずだ。随分違うなあ。と、思ったところで訳も無く雅之が愛おしくなった。(とけてしまえば春の淡雪)という、8年前の憎しみはとっくに消えていた。

1時間の約束が3時間以上になった。だからといって、楽しいわけではないし、話の内容もうざったいものだった。雅之が必至になって末子に訴えたのは、(自分が今如何に悔いているか)だった。「あの時の僕は本当にどうかしていた。君や子供たちと離れてすぐに、ああ、俺はこの世で一番大切なものを失ったんだと気づいたよ、本当に馬鹿だった許して欲しい」とか、「市村とは近々別れることにした。彼女も承知してくれた。あの女は気違いだ。あれからの歳月は地獄だった。」

末子は、雅之の言葉をぼうっとして聞いていた。(貴方は今、市村さんのことを気違い呼はばりしたけど、8年前、他人の救急隊員に私のことを同じように言ったじゃあない)そう思った途端、末子は、急に怒りがこみ上げて来て、しかし努めて冷静に(話は分りました。それで、今日私に何を言いたいのかしら)と言って、少し目力からを入れて雅之を見た。雅之は一瞬目をそらしたが、そのあと、改まった様子で、謝罪のつもりか軽く頭を下げ(あの家に帰れないだろうか)と言ってきた。

(ウン、いいわよ)と言う言葉を待っているのだろうか、冗談じゃあない。散々好き勝手なことをしておいて、何が今更(帰りたい)ふざけないでよ。然し末子はそうは言わなかった。そのかわり(私の気持ちはノーです。ただ、子供たちが何と言うか聞いてみます。私の夫にならなくても父親に変わりはあありませんから)と言って、その日は別れた。

さらに、2年の月日が経った。翔はオーストラリアで生活をはじめ、茜も卒業の時期を迎えた。卒業したら米国に住む。なんて言っていた茜が「結婚したい」と言い出し、末子は仰天した。え~何で。と、聞いてみると2年前から交際をはじめ茜が卒業したら式を挙げようという約束になっているらしい。(茜ちゃんそんなことは早くお母さんに言うものよ)と抗議したが、「もう決めたことだから」と、取り付くしまもない。男勝りで、一度言い出したら聞かないところのある子である。それから、相手はどんな人か、とか、職業や先方の家柄等を聞き、一度会ってほしいという茜の願いを承知した。

あの日、8年ぶりに雅之と会った日の夜、二人に聞いてみた。(お父さんがこの家に帰りたって言うんだけどどう思う?)翔は「冗談だろう。僕は承知できない、そりゃあ確かにあの人のお金で大学に行けたかもしれないけど、それは、あの人の義務だし、しでかしたことに対するペナルティーでしょう」と言って猛反対した。しかし、茜は多少ニュアンスが違っていた。「ウーン、私は構わないよ。お母さんさえ良ければ、だって、結婚する時、片親っていうのもさ~」だった。その後、やいのやいのと言ってくる雅之に対し、(もう少し時間を下さい)と、言い続け今日に至っていた。

暫くして、雅之から「市村と別れてアパートに移った」というメールが届き、あの時彼が言ったことは本当だったんだな。と思ったが、末子の気持ちが変わった訳ではない。20年も一緒に暮らした仲である。一人の男としての愛着は失せたが、家族として、一人アパートに暮らす雅之を想像したら可哀想にもなってくる。

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5月3日、青山会館のチャペルで一組の結婚式が始まった。日本人の牧師が厳かに言う。新郎田上哲也は、新婦茜を末永く愛し、病める時も、また健やかな時もーーー その少し前、バージンロードを花嫁と歩く加納雅之の姿があった。

2年前、父親が帰って来たいって言うんだけど。と、二人の子供に相談した時、茜が「結婚式に父親がいないのもね~」と言ったのは今日のための伏線だったのか。後年、末子の問いに、茜がしみじみと言った。「違うよお母さん。私は、心からお父さんに帰って来て欲しかった」と。社会人になった翔も不承不承ながら承知し、雅之は少し前から加納家の人となっていた。末子は、雅之に(貴方と復縁する気持ちはありません。これからは、同居人としてお付き合いしましょう。それで良ければ)と宣言して雅之を迎えた。

雅之が引っ越してくるという日、末子は、あの橋にいってみた。これから始まる変則的は日々、茜が嫁げば文字通り一人ぼっちになってしまう。自分はあと何年、女として生きられるだろうか、そんなことを考えながら、用水路に沿ってあの橋に向かって一歩ずつ進む。10メートル、あと、3メートル。末子に何の変化も訪れない。胸苦しさも、足もこわばらず、頗る健康的に歩を進めることが出来た。やがて、あの橋に着き、ゆっくりと周りを見回すと、沈丁花の甘い香りが末子を包み込んだ。------