あの橋から その28

探偵日記 12月30日日曜日 雨

昨日は今年最後のゴルフ。前日の予報で雨を覚悟したが、ピーカン。風も無く、この時期のゴルフにしては思いもよらぬ好天気、みな、日ごろの行いが良いからだと大喜びでスタートした。僕は、他の人が(どうしたの?)と訝しがるほどの低調さ。寄席芸人(グリーン周りの寄せやパットが上手という意味)といわれる僕が、トップ(アイアンkクラブの刃の部分で打ってしまうために起こるミス。飛びすぎてOBになったりする)の連続。(泣)それでも終わってみると、一番の成績だった。はてな?

夜は、新宿のお寿司屋さんでささやかな忘年会と反省会と、来年の予定を決める会を催し、午後8時半お開きと成った。

今朝は生憎の雨、タイちゃんも覚悟を決めたようで、中央線の高架下を30分ほど歩き、さっさと帰宅。それでもウンチを3回した。13時、事務所へ。このあと、18時から日暮里にお芝居を見に行く予定。知り合いの社長のお嬢様が出演している。



あの橋から その28

末子は何となく悪い予感がした。このところ幸せ続きで緊張感が希薄に成っていたようだ。永瀬のメールに何ら変化は無かったが、女の勘というか、一度厳しい裏切りに遭った者の気弱さなのか、永瀬より早めに着いた喫茶店で末子は意気消沈していた。やがて、何時ものように長瀬がやってきて、屈託ない様子で(お待たせ)と言って椅子に腰を下ろす。ウエイトレスにコーヒーを注文して、「今日はあの居酒屋じゃあなくて末ちゃんの好きなものをご馳走する。何がいい」と言う。末子はますます不安になった。これから末子が聞きたくない話をしなければならないから、永瀬なりに、無理に雰囲気を盛り上がらせようとしている。末子は(私は何でも良いよ。あなたと一緒なら)努めて陽気に応えた。そして、一瞬、永瀬の表情が曇ったのを見逃さなかった。

末子は自分の意地っ張りさを嫌悪した。その後も永瀬が「他に行こうよ」と言うのに反対し(あそこが良い)と言い張った。永瀬も折れて、じゃあというわけで、何時もの意酒屋に落ち着いた。永瀬は、何時ものように良く飲み良く食べた。その飲みっぷりにつられて末子も飲んだがまったく酔えない。いや、酔っていは居るのだろうが、飲むほどに頭の芯が冴えてくる。

そして、おかしなことに今日のメインテーマというべき(永瀬の昇進)について二人とも触れようとしなかった。もう午後9時を回っただろうか、客も少なくなった頃、末子は意を決して(ああ、忘れてた。このたびはおめでとうございます)と言った途端、今まで陽気におしゃべりしていた永瀬がハッとした顔になり、居ずまいを質し口を開いた。それでも少しくだけた態を装い「ウン、そのことなんだけどさ~」と言い、そのあとを言い澱んだ。末子も(遂に来たか)と思い、姿勢を変え、何なの。という表情で永瀬の次の言葉を待つ。

その後、永瀬が言った内容は要約すれば次のようなものだった。(内々に取締役になる事が決まり、或る日、本社に呼ばれた。そこには、人事担当の常務と、永瀬推してくれた専務が待っていたらしい。この専務と永瀬は大学の先輩後輩で、これまでも何くれとなく目をかけられていた。専務曰く、最近は、昔みたいに、訳もなく総会屋が騒ぐことはなくなったけど、それでも油断は禁物だ。社長から、6月の総会までに身体検査を済ませるように言われている。その点は大丈夫だろうね。と念押しされた。)サラリーマンにとって、大過なく定年を迎えるのが一応の成果であり、場合によっては、嘱託で残ったり、子会社もしくは関連会社で数年間面倒を見てもらえれば御の字であろう。したがって、役員に抜擢される人は限られている。本人がいかに優秀であろうと、人脈から外れると道は絶たれる。

余談だが、筆者も数多くそんな人を見てきたし、身近でエッと思うことも有った。ある財閥系の企業に入社した後輩のことだが、彼はその会社から三顧の礼で迎えられたほどの逸材であった。入社早々、ある取締役から釣りに誘われ、以来、その人の私設秘書のように可愛がられ、その取締役も順調に推移。次期社長と目されるまでになっていた。ある時、僕が彼に聞いてみた。(どうだ、将来どの辺りまで行くか?)すると彼は、「ウン、まあ、部長は固いでしょう、どっかで何かちょっとした成果を挙げれば取締役になるかな」かなり自信を持って応えたものだった。ところが、バブルの頃、都心にかなりの土地を持つ資産家と知り合い、えらく気に入られ、銀座の高級クラブを連れ回され、そのほか、ゴルフや海外旅行にも付き合った。一つには、勤務先がその資産家が所有する土地に大規模な開発を持ちかけており、彼が担当者であったからだ。

しかし、所詮彼もサラリーマンである。最初は用心に用心を重ね付き合っていたが、そのうち慣れが出てきた。大手企業というところ必ず(ゲシュタボ)が存在する。何万人といる社員一人ひとり、それとなく採点されている。何時電話をかけても(今日はお休みをいただいています)とか、(本日は出張で社には戻りません)が続き、心配していたら案の定、関連会社に平の取締役で左遷された。しかも東京から遠い地方都市にある小規模の会社にである。これで、彼のサラリーマンとしての生命は終わった。

さて、永瀬の話をもう少し聞いてみよう。(まあ、当然末ちゃんのとは言えないから、大丈夫です。と、応えておいた。とにかく、株主総会まで日々の行動には充分気をつけるように、さらに専務は、取締役として大きい成果を挙げればその上だって有るんだから、かりに、奥さん以外の女性と付き合っているようなら清算するように。まあ、君に限ってそんなことは無いと思うが」-----

専務は永瀬の結婚の媒酌人でもあった。その後は、奥さんは元気か?とか、世間話に終始したが、「専務は、何となく末ちゃんのことを言っているように感じたよ。まあ、僕の思い過ごしだとは思うけど。だって、僕たちのことは誰も知らないよね。」永瀬は言う。「暫く会わないようにしよう。君も子供たちを育て上げなきゃあならないし、そのためには今の会社にいるのがいいだろう。僕がいる限り君のことは責任を持つから」末子はそんなことを言う永瀬の口元をぼんやり眺めていた。夫から(別れたい)と告げられた時のショックとは異質な、なんとも言いようの無い虚しさが末子を襲った。

末子は(分りました。今まで有難う。永瀬さんこれからうんと偉くなってね。)と言って、(じゃあ帰りましょうか)と言いさっと立ち上がった。一瞬、永瀬は何のことか分らないようなキョトンとした顔をしたが、小さく「ゴメンね」と言って、しかし、安堵したふうで伝票を掴み慌ててレジに向かった。(最後の最後で、誰かに見られるといけないから)と断って、末子は先に店を出て、そのあと、小走りで駅に急いだ。これ以上永瀬に声をかけられないことを願いながら。------