あの橋から その8

探偵日記 12月03日月曜日曇り

今年も、実質、今日から3週間で終わる。例年ならば、当月が一番繁忙月で、それなりの収入が見込めたが、今年はまたくその気配が無い。本日、事務所にお歳暮が2つ届いたが、いずれも業務とは関係のない歌舞伎町のクラブからで、そのうち一つは、数ヶ月前1回行っただけの店からだった。近々、頂いた品代の数倍が必要となる。気の重いお歳暮だが、ここで少し考えてみる。勿論当事務所もお中元とお歳暮は欠かさずお届けしている。たんに「儀礼」と思う人も居るだろうが、僕は、日本人の素晴らしい慣習だと思う。僕の事務所からの贈り物は、「感謝」の何ものでもない。主に、都内の法律事務所であるが、諸先生のご紹介や、その事務所からのご依頼もある。(有り難い)心からそう思うので「感謝」を表明する。

しかし、クラブやバーは、「必ず来なさいよ」というメッセージを感じる。だからといって、それが嫌ということではない。立派な営業だと思うし、してやられた。と思っても、それなりに楽しい(上手くやられた)であり、向こうも、一人の客との関係が深まった。と、満足する場合もあるだろう。しかし、こうした営業をまったくしないで、(それは古いやりかただ)と批判する経営者もいる。あるママの話。僕は、ある時期、その店の常連であった。大げさに言うと、その店の家賃と、ホステス2~3人分の給与が賄えただろうと思うぐらい通った。或る時、「ああ、福田さんが連れてきた弁護士さんのお友達が来てくれたわよ」と言う。(何時?)と聞くと、「もう1ヶ月ぐらい前かしら」と応えた。(先生にそのことを言ったの?)と聞くと、「ううん」馬鹿な女だな。と思ったところで、以後、次第に疎遠になった。風の噂では、もう、風前の灯だと聞く。水商売に限らず、そうした気配りは営業に欠かせない部分だろう。それと「実」(誠実の実、誠意)が無い営業は実を結ばない。-------



あの橋から その8

救急車で病院に運ばれ、知らせを聞いて、夫の雅之や子供たちも駆けつけた。2日目の朝、こん睡状態から脱出した末子は、ここが病院だと聞かされてもすぐには事態を判断できなかった。(何故、どうして?)記憶が戻ってこない。後からやって来た母親が悲しそうな顔で末子を覗き込んでいる。末子はわけも無く涙が出た。(お母さん)と言ったきり、後何を言ったらいいのか分らない。3日目の朝、退院の手続きに来たという雅之がベッドまでやってきて、「僕は仕事があるから帰るけど、君がどんなことをしても僕の気持ちは変わらないから」とだけ言って、そそくさとベッドを離れた。

昨日、母親からこんこんと説教された。(死んでもしょうがないでしょう。あなた、二人の子供はどうするつもりなの?自分は死んですべて解消できるかもしれないけど、無責任すぎるんじゃあないの。ただ、雅之さんは許せない。とにかく、しっかりして)と言って帰っていった。入院費等雅之が精算してくれていたので、母が持ってきてくれた洋服に着替え、ナースステーションに居た看護師らに(お手数をかけました)とだけ言って病院を後にした。

その日の夜、アルバイトを休んだ雅之と、二人の子供たちと食卓を囲んだ。まだ台所に立つ気力は無く、食卓には近所の食堂から出前してもらった丼物があるだけだった。

まず、雅之が言う「翔と茜には申し訳ないけど、お父さんは、お母さんより好きな人が出来たので家を出ます。」二人はきょとんとした顔をしていたが、17歳になる翔は、母親の自殺未遂の原因が父であることは薄々理解していたから、しかし、こんな時何を言ったらいいのかまでは成熟しておらず黙って下を向いていた。まだ12歳になったばかりの茜は、良く理解できないまま、ムッとして怒ったような顔で父と末子の顔を見比べている。

そのあと、子供たちは自分たちの部屋に入り夫婦だけになった。再び雅之が言う。「僕はずいぶん前から君のことが嫌いだった。お給料を渡す時だけニコニコして、僕のことを蔑ろにして、メガネだって、合わなくなったから取り替えたいって頼んだのに、何年も無視された。今更謝られても、どんなことをしても、もうやり直せないし、彼女とのことは決めたことだから」(相手の方はどんな人ですか?)やっとのことで末子が聞くと、雅之は、「君も知っていると思うけど、同じ職場のNさんだよ。あの人には僕が居なければ駄目なんだ。前にも説明したと思うけど、精神を少し病んでて、クリニックから貰った薬を僕が預かっている。放っておくと鬱状態が酷くなって自殺しかねない。だから僕が薬を調整して飲ませなければならない。」、「彼女は天涯孤独で僕が頼りだといっている。そんな人を置き去りには出来るわけないだろう。」

(じゃあ、私や子供たちはいいんですか)末子は、雅之の言っていることがどうしても理解できなかった。私のことはともかく、子供に対する愛情は無いのだろうか。その後も、話は堂々巡りで、「出てゆく」の一点張りの雅之に対し、末子はなす術もなく、まるで人が変わったような夫の横顔を呆然と見つめるだけだった。-----