あの橋から その17

探偵日記 12月14日金曜日晴れ

06時起床。ドアの前にはすでにタイちゃんが待っている。冷水をコップ一杯飲んで外に出る。今日はノースに進路を取り勢い良く走り出す。タイにとって、朝一回の散歩が生きがいなんだろうと思って粛々と供をする。その後は、何時ものようなペースで事務所へ。



あの橋から その17

何しろ初めて会う人である。昨日の電話でも、不安になって(あの~)と言いかけると、探偵は、僕は少し早めに行って週刊誌をテーブルの上に置いておきます。分りますよ、お声をかけますから、とも言ってくれたが、(大丈夫かしら)と思いながら喫茶店のドアを開けた。午後1時という設定が悪かったようで、ランチをする客で混雑していた。傘入れに傘を仕舞い店内を見回すと、隅の席の男性が立ち上がって、軽く頭を下げる仕草で合図をした。ああ、あの人かと思いその男性の席に向かう。末子が近くまで行くと男性は席を立って「福田です」と言ってくれた。

末子も、(加納です)と挨拶をしながら席に着き、改めて福田と称す探偵を見つめた。「何になさいますか」すでにコーヒーを飲んでいたらしく、(私も同じものを)と言う末子のためにウエイトレスを呼び、ホットを、と言う。末子のコーヒーが来る前に、探偵は名刺を出し、再び自分の名前を告げ、「生憎のお天気ですね」などと言い、そのあと、「この喫茶店は以前何度か利用したことがあって、駅前で分りやすいと思って」と、この店を指定した理由を話してくれた。やがて末子の前にコーヒーが運ばれ探偵は本題に入った。

K弁護士さんから何度かお仕事のご依頼をして頂き良く存じ上げています。僕の事務所は90パーセント以上が法律事務所からのご紹介で、特別な宣伝はしていません。まあ今時ですから、ネットにホームページぐらいは出していますが。と言う。実は末子も、この探偵が所属する探偵事務所をネットで見ておいた。全体にアットホームな印象だったが、今、目の前に座っている探偵が本を出していることも知っていた。末子は、お世辞半分で(本も書いていらっしゃるんですね)と言うと、「ええまあ、漫画みたいなものですが、加納さん、本はお好きですか」と聞いてきた。(ええ)と応じると、「じゃあ機会があったら差し上げますから読んでください」と言う。

そんなやり取りを交わしているうちに、末子の硬い気持ちも少し和らぎ、思いがけず、久しぶりに声を出さずに笑っていた。(老コナンです)なんて言ってるこの福田という探偵は、末子が思い描いていた探偵とイメージこそ違ったが、相手を包み込むような包容力と、人を引きつける巧みな会話をする術を備えているように思えた。電話の声は、やや軽薄な感じだったが、実際に話してみると、一言ひと言が重く説得力が有った。特に、(離婚は避けられないと思っています)と言う末子に、「今の若い人はすぐ離婚って言いますが、長い夫婦生活の間には色んなことがあるものです。何かあって、その度に離婚していたら切がないでしょう。添い遂げるという価値を考えて下さい」(いいえ、夫は今月末に家を出るって言っていますし、私がいくら頼んでも聞く耳を持たない感じです)「まあ、今の奥さんの状況では、仕方ないかもしれませんね。でも、人の心は変わるものです。僕はそれでいいと思っています。ですから、奥さんが今やっておかなければならない事をご相談しましょう。」「ご主人も今は大きな勘違いをしているのでしょう。妻と二人の子を捨てて、一時甘い夢を見れるでしょうが、将来必ず後悔するでしょうし、これだけは保証します。ご主人は絶対幸せにはなりません。」

確かに、この探偵は経験豊富だろう。だけど、そんなこと断言できるのだろうか?きっと主人の性格を知らないから無責任に言っているのだ。末子は、目の前の探偵を少し疑わしく思えた。よし、あれを言って驚かせてやろう。(私、2回自殺を図ったんです。でも死ねなくて)黙って聞いていた探偵はこう言った「奥さんはお利口さんに見えたけど意外と馬鹿なんだね」今までの柔和な表情とはうって変わった鋭利な刃物のような目でこっちを見て、そのあと横を向いた。ーーーーーーー