あの橋から その22

探偵日記 12月21日金曜日晴れのち曇り

今日で事実上12月も終わり、後の10日は消化試合みたいなものである。もう新規の依頼は無いだろうし、代わりに雑多な予定を抱えなんと無き気ぜわしい日々を過ごすことになる。今年の僕は年回りが良くないようで、1年を通じて充実感がなかった。早くも来年に期待せざるを得ない師走だ。

ただ、僕にとって明るい兆しもある。何より、政権が交代し自民党が我が国の舵取りをすることになった。新総理はおらが国(山口県)の「安倍晋三」氏、返り咲きを(恥知らず)という者も居るが、挫折を経験した強みもあろう。大いに期待するところである。



あの橋から その22

30分も待っただろうか、ラウンジの入り口からせかせかした足取りで上司がやって来た。末子を見つけ、やあという感じで左手を上げる。そうした何時もの仕草を見て末子はたまらなく嬉しくなった。日頃はなんとも思わなかった人である。しかし、先日来、このことを相談してから、見直したというか、末子自身の心境に微妙な変化が起こった。父でもない、兄でもない、勿論恋人なんかでもない。ただ、この人と話すと気持ちが落ち着き、前向きになれる不思議さを感じていた。

「どうした」座るなり聞いてきた。末子は(すみません突然呼び出しちゃって)と謝りながら、探偵事務所の報告書を差し出し、(相手の女性ってこんな人でした)と言う。どれどれ、と、言いながら報告書を手に取ってみた上司は「ふ^ん」と唸って、「で、どうするの」と聞く。(どうしたらいいんでしょうか)二人の間に沈黙が訪れ、そうした重苦しい空気を払拭するように「まあ、ちょっと飯でも食いに行こう」上司の言葉で我に返った末子は(ハイ)と短くこたえ報告書を鞄にしまった。

職場では可もなく不可もない平凡な人というのが一般的な評価だった。末子も、直属の上司でなければほとんど口を利くことも無かっただろう。無口なほうで、部下を頭ごなしに怒ったこともない。存在そのものが希薄だが、本社の受けは良いらしく近々取締役に昇進するかもしれないとの噂を聞いた。何時か、末子がそのことを言うと、「僕は出世なんかに興味は無い、早く定年を迎えて好きなことがしたい」と笑っていた。趣味は、釣りと旅行、カメラもその中の一つらしかった。

2~3分歩いたところにある居酒屋に入って、改めて上司は聞く「これからどうしたいの」末子は、運ばれてきたビールを一口飲んで「主人は明後日出て行くようで、とりあえず離婚を前提とした別居になるのかなあ、盛んに、条件を考えておいてくれって言うけど、主人には貯金もないし、仮に、子供たちの養育費を決めても支払う能力は無いはずなんだけど」言いながら、ちょっと他人事みたいに思えて、チラッと上司の顔を見ると彼もおかしそうに笑っている。

「安心したよ」上司はそう言って、グラスを上げて乾杯する仕草をし、「末ちゃんはもう大丈夫だね、」と言う。第三者が見るととんでもない窮状なのに、そうして笑っていられるんだから、末ちゃんは案外太っ腹なのかもしれない。上司は心底安心にしたように、ふ~と大きく息を吐き、ジョッキを飲み干した。

そのあと、やり手の管理職らしく今後のことについて自分の考えを述べた。まず、二人に対する慰謝料として2000万円を、次に、学費を含む子供二人の養育費として、月額12万円、勿論、18歳の長男は大学卒業までの4年間とし、12歳の長女は、向こう10年間負担させる。これを公証役場で証書にして、相手の市村かおりに保証させる。子供との面会権は子供に任せる。「これでどう」上司は、今の二人は、一緒になりたい一心でこの条件を飲むはずだし、探偵事務所の報告書にもあるとおり女性は多少の資産を持っているはずだから、保証人にしておけば、万が一ご主人が不履行にしても、彼女の収入を差し押さえることが出来る。ウンこれでいこう。

明後日ご主人が出て行ったら、すぐに公証役場の予約を取って、二人に来てもらったらいい。末ちゃんに収入があるから少々乱暴な条件だけど、二人は必ず応じると思う。「書類は僕が作ってあげるから」と言う上司と、この日、生まれて初めて我を失うほど痛飲した末子は、翌朝、目覚めたベッドで記憶を辿ったが何も思い出さなかった。----