探偵日記 4月3日木曜日 雨
昨日は比較的早く寝た。01時過ぎ一旦目が覚めたがそれからすぐに寝付けて朝までぐっすり。巨人戦途中まで見たが大敗していたのでチャンネルを変えた。ところが朝新聞を見ると8回に大逆転していた。たまにはDNAの中畑監督にも勝たせたいと思っていたが1回に10点も取られては策の施しようも無かっただろう。ご愁傷様。
例年、桜の季節の頃、花冷えの日が数日ある。今日もその日のようで、折角脱いだズボン下を又はいた。今日は夜、少し遠くに行く予定なので車で外出、新宿御苑の駐車場に停める。雨だというのに花見客が多い。
メガバンク 3
ゆっくりコーヒーを飲んだあと、大東銀行本店に向かい4時5分前に到着。守衛に青柳氏の名前をいって、自分の名前も言い来意を告げる。守衛は「ああ、お待ちしておりました。」と言って、青柳氏の待つ25階の部屋まで付き添ってくれた。エレベーターの中で、「今日は大変な日になりましたね。ご苦労様です」などと、青柳氏の意を汲んだような応対をする。大銀行というものは守衛に至るまで十分教育されているのだろう。大東商事を中心とする大東グループは、銀行、不動産、重工業、自動車など数百の会社から成り、合わせると従業員の数は数十万人となろう。しかし、グループを引率するのは僅かな人たちで、いずれも東大や有名私大を卒業した者が担っている。そうした巨大組織で上りつめるのは大変な努力と強い運が無ければならない。個人の資質や能力だけではどうにもならない側面がある。絶対的と思える上司の乗るエスカレーターに同乗していても、そのボスがこければ、それまでの努力は瞬時に水泡と化し、たいていの場合、二度と陽の目を見ることはない。さて、これから会う青柳氏はどんなポジションに居るのか。
守衛に案内された部屋は(役員室)の一つで、それだけで、犬鳴探偵事務所の倍はあった。重厚な調度品と、いかにも高そうな革張りのソファー。「やあ、どうも大変な日にお呼びだてしてしまいました。」さあどうぞ。と促されソファーに座ると、何処からか制服姿の女性が現われ水と飲み物を置いて立ち去る。あとは、犬鳴と青柳氏の二人だけになった。「犬鳴さんは大変腕のいい探偵さんだそうですね」まず青柳氏はお世辞まじりに犬鳴を持ち上げる。水元弁護士が必要以上に評価してくれたらしい。犬鳴は少しだけ表情をゆるめて(恐縮です)とだけ言い、付け加えるように(お引き受けする案件は千差万別ですから、上手く行くこともあれば、なかなか思うように進まない時もあります。ただ、自分としては、どんな些細な件でも真面目に取り組んできた。とは思っています。)と言って、次の言葉を待った。「いや、そうでしょうね。仕事というものはそんなものだと思います。水元が、俺が保証する。なんて言うものですから、どんな人かなあ、と、お会いするのを楽しみにしていました。ただ、こんな言い方をすると失礼かもしれませんが犬鳴さんって、普通の人ですね。」青柳氏は、自分で言って、その言い方が可笑しかったのか声を出して笑い、犬鳴もつられて、お互いの顔を見合わせながら一時笑い合った。
彼と水元弁護士は信頼関係が出来ているようで、その後は、最初に訪問した会社の担当者が、一様に聞くような、例えば、犬鳴の経歴や、経験年数、事務所の規模、などの質問は一切しないで本題に入った。「実は、当行の部長職の人物を精密に調査して頂きたいのですが」青柳氏は、(徹底的に調べて瑕疵を見つけてくれ)というところを、(精密に)という表現で話し始めた。犬鳴は、多分そんなところだろう。と思っていたので、聞き返すことなく、僅かに顔を下げ、次を促した。それから小一時間、マルヒについての情報を詳細に話し、最後に、「取り合えず6月の半ばまでやっていただきたい」と言う。犬鳴が予想したとおりだった。青柳氏は、調査の目的については一切口にしなかったが、おそらく、マルヒは今度の株主総会で取締役昇進を議題にされるのだろう。商法が変わり、暴力的な株主が排除されて久しいが、今でも、経営者が一番緊張するのが株主総会である。最も良いのは、(しゃんしゃん総会)と言われる無難な総会で、会社側が提出する議題に対しなにびとも異議を唱えず、(賛成と拍手)で終えることが望ましい。もう昔の話だが、ある総会屋が何らかのネタを掴み(今度の総会でひと暴れするらしい)という噂が流れた。これを耳にした総務の総会屋担当は慌てて、総会前日、その総会屋を銀座のクラブを連れまわし、最後は、ほとんど軟禁状態にして、遂に、総会に出席させなかった。という逸話もあるほどで、3月決算の企業にとって、6月末に行われる株主総会は頭痛の種である。
マルヒは藤井鉄夫52歳。自宅は世田谷区成城で、家族は妻と娘二人。やはり東大卒で、現在は本店の経理部長。役員になるには少し早いような気がするが、マルヒを引きたてようとする役員がいるのだろう。しかし、単純な(身体検査=政治家が大臣に登用されるときとか、企業が役員にしようとする時行われる調査)ではないはずだ。もっと奥が深い、多分、派閥争いの一端の極めて秘密裡な調査になるのだろう。(かしこまりました。では早速明後日から着手致します)犬鳴がそう言うと、「ではちょっと」と言いながら立ち上がった青柳氏が大きなデスクの裏に置いてあったらしい紙袋を持って、再び犬鳴の前に座り「当座の費用です。途中でお入用なら遠慮なくおっしゃって下さい。」と言って犬鳴の目の前に差し出した。犬鳴が(じゃあ領収書を)というと、青柳氏は、「結構です」と言う。一瞥すると3,000万円は入っていそうだ。犬鳴は内心ウーンと唸った。--------------