メガバンク 8

探偵日記 4月9日水曜日晴れ

今日は例によって、事務の高ちゃんがお休みなので早々に支度を済ませて家を出る。10時、事務所着。今日は、熱くもなく寒くもない日、でも、寒がりの僕は長袖のユニクロを着た。僕は、70の子の年まで寝込むほどの風邪を引いたことがない。いつも周囲にそう豪語しているが、自身はしっかりと気遣いをしている。とにかく、風邪を引いてしまうようなことは決してしないよう、日々努力を怠らない。だから、人一倍健康だとか頑健ということはない。まずまず人並みである。それでも最近体力に自信が無くなった。先日も、尾行調査に参加して、数百メートル全力疾走し、やっと間に合った電車に乗った後、暫く声も出せない状態だった。探偵犬鳴も確実に老化しつつある。



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紀伊国屋で張り込んでいた調査員から「マルヒは女性のマンションに戻りました」という連絡が入り、犬鳴は(よし分った。今日はもういい)と言って取り合えず調査を中断させた。マルヒは、今日明日と女性のもとでゆっくりするだろう。或いは、日曜日も帰らないかもしれない。犬鳴が想像したように、仮に、遠方への出張ならば着替えを持っていなければならない。調査員の報告ではそんなことは言っていなかった。インターネットで検索してみると、女性のマンションは全室賃貸で、規模によって異なるが、月額の家賃は、1室70万円~150万円となっている。一番狭い部屋でも100平米ある。今のところ、マルヒの相手がどの部屋の住人か分らないし、女性のことも全く判明していない。最近はこんな状況は多く、マルヒやマルヒの不倫相手の住所が分っても部屋番号が分らない。そうすると、名前すら分らないことになり、調査が行き詰ってしまう。これでは喧嘩にならない。仮に、相手女性の氏名が分ったとしても、(ええ、そのマンションには入りましたよ。エッ、女性ですか知りませんよ。偶然一緒になったんじゃあないですか)裁判でこんな証言をされたら一巻の終わりであろう。民事は、ものを言ったほうがその証明をしなければならない。今回のことも、マルヒが女性とともに女性の部屋から出てくる場面の写真が無ければ「不倫」は証明出来ない。しかし、立場のある人はそんな逃げ方は許されない。

月曜日、12時きっかりに指定された割烹店に行った。仲居に青柳氏の名前を告げると「ああ、お待ちしていました。」と言われ、一番奥の小部屋に通された。ここなら誰にも見られずにすむ筈だ。和障子を開けると青柳氏がにこやかに座っている。(遅くなりました)形ばかりの挨拶をして部屋に入る。犬鳴の座る位置が上座になっている。(青柳さん場所が違います)と言って、変わろうとするが「まあまあ、今日のところはこれでお願いします」と言って強引に座らされた。犬鳴も、まあ、上座か下座で時間を取られても。と思い、(それじゃあ遠慮なく)と言って、腰を下ろした。やがて、こてれでランチか。と思えるような豪華な会席を食べながら世間話に花が咲く。さすがに、海千山千の強者総会屋を裁いてきただけのことはあり弁舌も立つし世事にも明るい。犬鳴の業界にも知識があって、あなた方の協会の前の会長さんは、確か、丸の内署の署長をやられた人でしたよね。などと言う。「犬鳴さんも元これですか」と言って、左こぶしを額に当てる。(いやあ、僕は探偵ごっこの延長で・・)と、決して元警察官ではないことを伝える。人によっては嫌がる人もいる。

小一時間かけて食事が終盤になった頃、持参した封筒から写真数枚を取り出し青柳氏に見せる。「随分美人だな~」と、冗談めいた独り言をいい、その実、目は笑っていない。その代わり、フッと嘲笑うような吐息を漏らした。(これで勝った)と思ったのかどうか分らないが、マルヒに憐憫の情を抱いたようだった。(これでこの男も終わりだな)青柳氏の吐息は、そんな勝者の息吹が感じられた。しかし、青柳氏が最も関心を持ったのは、マルヒがハイヤーで出勤していることだった。「毎日ですか」(ええ、そのようですね)そんなやりとりのあと、何故か少し考え込むような素振りを見せた。「犬鳴さん。調査はこのまま続行して下さい。もし、銀行関係者以外の人物、と言っても調査のか方たちには分りにくいでしょうが、その時には、その人物を、何処の誰か確認して頂きたいのです。その後、独り言のように、「資金の出所がなぁ」などと言い、今後、調査の対象を変えて頂くかもしれませんが宜しいでしょうか。費用は追加いたしますので。犬鳴は(承知しました何なりとご下命下さい)と言って、中間報告は終了した。----------------