メガバンク 12

探偵日記 4月14日月曜日 晴れ

1週間以上雨が降っていないらしい。そういえばそうだ。土曜日は静岡県の富士まで行く。東名高速を、名峰富士を眺めながら走り、「新富士」インターで一般道へ。この日は仕事を終えた後、栃木県小山市で泊り、翌日の月例に参加する予定だったが、同伴者を東京まで送ったところで力尽き、ホテルをキャンセルして帰宅。翌日みんなと一緒にコースへ向かった。1人2000円ずつ払って仲間の車に便乗、この方がうんと楽である。成績は振るわず10位。なんと、同ネットが8人も居た。優勝者は6アンダーだから、1オーバーでは話にならない。さて、高らかに優勝宣言してコースに乗り込み、支配人にまで(今日は俺が優勝する)と、のたもうた。しかし、僕が予想したとおり、僕と同ネットで入賞さえしなかった。「6月8日の月例は、俺の誕生日だから、その日は必ず優勝する」と、今度は予言してコースを去った。

朝、普通に起きてご飯を食べたが、何となく事務所に行きたくない。暇な事務所に出てもやることもないし。なんてぐずぐずしていたが、気を取り直して家を出る。10時、事務所着。
すると、古い知人から電話があって「実は国家褒章を戴くことになったので報告しておくね」だって、じぇじぇじぇ。最近暗い話が多かったので、久しぶりの朗報だ。知人は、警視庁の刑事を長く勤め、警部で退職したから、地位は(元、警視)ということになる。早く事務所に出たお陰でお目出度いことに遭遇できた。とにかく、おめでとうございます。


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笹田常務の調査は、10日あまりGPSによる、車両位置の確認を行ったが、当然ながら朝は自宅、昼間は会社にあることが多く、僅かに動きがあるとすれば午後6時以降である。銀座、赤坂、向島、築地、神楽坂、などなど、いわば、高級料亭のある場所に数時間居て、大概は自宅に戻っているようだった。かといって、ただ単に車の動きを見ていただけではなく、その都度、調査員が急行し、同伴者の確認を行った。また、藤井鉄夫のときと同じように、自宅から出されるゴミは詳細にチェックした。ただ、これらの調査結果を犬鳴が知るのは2週間後になった。理由は、(日本に居なかった)からだ。しかし、事務所や、依頼人との連絡は緊密に取り、仕事に大きな齟齬を生じることは無かった。では、2週間も何処に行っていたのか。実は家族でオランダに行っていた。大の飛行機嫌いの犬鳴は最後まで抵抗したが、妻の「私の還暦のお祝いなんだから付き合ってよ」と、半ば脅迫された格好で渋々ついて行ったのだった。ところが、行って見ればそれなりに楽しいもので、美術館で見た(夜警)も素晴らしかったし、特に、フェルメールの(ドルフトの朝景)いや、眺景かな。は、感嘆した。日本では、他の絵が人気が有るが、やはり本場に行って見るものだと思った。

電話での報告では「今日は日銀のお偉いさんのようでした」とか、「財務省の役人でした」など、犬鳴が関心を抱くような物は無かったが、実際に、各日の写真やビデオを見て思わず唸るような成果もあった。犬鳴は常々、探偵という職業は幅広い知識を必要で、何事にも(はてな)と思うように。と、指導している。?マークの多い人ほど探偵として成功する。まあ、何事にも。と言っても、ガールフレンドや、妻の行動に、いちいち疑問を持つ必要はない。第一、そんなことをしても金にならない。むしろ、自分に隠れて他の男を作るような女は、そっちに行ってくれたほうがいいぐらいのものだ。と思うのは自分だけだろうか。話が横道にそれたが、要するに(ぼんやり)するなと言うことである。某日のビデオ、マルヒが数人の男達に見送られ店を出てきたときのものだが、数秒遅れて、明らかにそれらの者とは雰囲気の異なる男が写っていた。「木下」某、総会屋「糾弾」を主催する人物で、一説には、関西の広域暴力団M会をバックにして力をつけてきた。という風説がある。商法が変わって一株株主の総会屋がはじき出されて久しいが、企業にとって必要悪ともいえる彼らを完全に切れないで居るところも多い。現に、某企業など、退職した警察官を総務に置いている一方で、こうした総会屋や、右翼、暴力団とも懇ろになっている。大東銀行は木下にどんな借りが有るのだろう。総会を控えての挨拶程度なのか。としたならば、当然、依頼の窓口である青柳氏も知っていなければならない。

そんなことを考えながら調査員が持ってきた別の資料に目を通していると、(ん、これはなんだろう?)と思う紙片に目が止まった。喫茶店かレストランのレシートであろう。こまごまとした数字やカタカナが印字されている。よく見ると、赤坂のホテル「キャピタル東急赤坂」のラウンジのものということが分った。日付は先先週の月曜日、時間は、14:18とあるから、午後2時18分。利用人数は二人。確か、笹田常務の自宅は大田区田園調布である。基礎調査で、広大な屋敷は土地建物とも妻静枝が親から相続されたものだった。静枝の実家は、やはり田園調布にあったが、大変な資産家で、近くを流れる多摩川辺りまで土地を所有し、都内の一等地にビルやマンションなども多く持っていた。東大法学部を首席で卒業した笹田が先代に見初められ(逆玉)結婚した。と噂されていた。そうした資産を管理運営する会社もあって、確か、静枝が代表に就任していた。その静枝が昼の2時にホテルのラウンジで誰とお茶していたんだろう。-----------