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探偵日記 4月12日土曜日晴れ

今日は6時起きで、静岡県へ出張。途中、所長の息子をピックアップして東名高速に上がる。目的地までおよそ200キロのドライブ。夕方、用事を終え、息子を新幹線の駅に下ろして、僕は、栃木県小山市まで行く予定。この日は、小山グランドホテル泊り。翌日は、ひととのやカントリクラブの月例に出る予定。阿佐ヶ谷から別枠でプレーする人達も来ることになっている。月例は、65歳以上の人は希望すればシルバーマークからプレー出来る。僕は最初、(な~んだ、それなら簡単に優勝できるだろう)と考えて参加したのだが、そうは問屋が卸さない。短いなりに難しいもので、ハンデを引いて71で回り準優勝だった。何と優勝者のスコアがネット63だったから遠く及ばなかった。今回初参加の吉村さん。年齢72歳。ハンデ28(ちょっとありすぎだろう)彼曰く「俺が出れば優勝間違いないよ。だって、28もあるんだよ。」と、やる前からもう優勝したかのような口ぶりだ。大学時代、明治のバレーの選手だった彼は、身長185センチある。アームが大きいので、ドライバーなど当れば見事なショットになる。結果が楽しみである。おそらく優勝は夢のまた夢。しょげかえる姿が目に浮かぶ。


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藤井鉄夫に関する調査報告書をまとめ青柳氏に手渡す。必ず他の人も見るに違いないと思い3部作成して、(念のため)と断って差し出した。青柳氏は一瞬面食らったような表情を見せたが、「いやあ、助かります」と言って受けとった。恐らく機密文書として大事にしまわれるのだろう。そして、公開される時がマルヒのサラリーマン人生にピリオッドが打たれる記念日となるはずだ。いずれの世界も弱肉強食。否、強いものでも隙を見せると足を掬われる。それが組織社会の慣例なのだ。(奢れるもの久しからず)部長だ、取締役だ、と威張っていても、肩書きを剥奪されればただの人、むしろ、平社員よりも惨めな分だけ厄介であろう。その人に運と人望があれば再起できるかもしれないが、マルヒの場合、会社の金をくすめて部下を愛人にしていたのでは同情もされないだろう。もしかしたら、家庭も崩壊するかもしれない。報告書を作りながら、犬鳴はふと、調査初日に垣間見たマルヒの妻の顔が脳裏に浮かんだ。

バブルの頃、当時の大蔵省職員が、他省からいかがわしい店で接待を受けたという事件が起きた。いわゆるマスコミを賑わせ、当時の流行り言葉にもなった(ノーパンシャブシャブ)接待である。この時、ただ一人実名で報道されたキャリアが居た。名前はKと言う。犬鳴はこの記事を見て(ああ、この人も終わりだな)と思ったものだ。ところが、この人は後に、次官に登りつめた。官官接待だったことや、省内で人望があったこと、勿論実力も備わっていたに違いない。そして、Kが、幕末の政争の狭間で活躍し、今でも語り伝えられる人物の末裔だったことも多少影響したかもしれない。

次のマルヒ、笹田三郎は筆頭常務で、次期社長を噂される位置にあった。人柄もよく社交的で財界に於ける発信力も充分あり、大東銀行の内部に於いて、一方の派閥を構成していた。藤井鉄夫はこの派閥に属し、最も笹田に近い側近中の側近であるらしい。しかも、経理部長という要の立場で、派閥の資金を捻出していたようだった。銀行には一般の人たちには分らない(簿外預金)というものがあり、大東銀行の場合、1千億円以上有るとされている。いわゆる数字だけのもので、所管の金融庁も完全には把握できない無形の産物といえよう。昔、僕の知人が勤務していたある支店で、窓口の女子行員がうっかり、すでに不渡りになっている額面200万円の小切手を換金してしまった。すると、その女子行員に対し、何のお咎めも無く、支店長決済で辻褄を合わせて済ませたという。勿論、本店の意向も聞かずにである。ということは、暗黙の了解で、支店長の裁量で自由に使える資金が存在することになる。銀行員といえども人間である。魔がさすこともあろう。しかし、そういう不祥事が公になるのは稀で、多くは、行内で処理される。

したがって、藤井鉄夫の立場であれば数億単位の裏金を捻出することは容易い芸当である。彼はこうして上司のめがねに適い、自らも贅沢三昧の生活を謳歌しているのである。ただ、次のマルヒは自分の手を汚すことなく、藤井の数倍規模の贅を尽くしているに違いない。さすがに常務ともなれば、社用車があてがわれ、余程でない限り決まった車で出勤し、帰宅する毎日だった。犬鳴は、暫くは常務の追尾をやめ、GPSの検索でその行動を監視する調査に切り替えた。-----------