依頼人は同期の中でも出世頭で、早くから取締役候補だった。仙台支社の支社長就任もその試金石のようなものだったらしい。大手企業に勤務する幹部社員がニューヨークの支店長になったら帰国後役員になる可能性が高い。したがって、依頼人も5~6年大きな失敗をしなければ50歳前後で本社の取締役になるのは間違いないところだった。
しかし、実父の逝去という或る意味で想定されたアクシデントのため、依頼人の意志とは関係なく商社を退職し、家業には入らざるをえなくなり、依頼人は、「早くから父のもとで働いている弟に譲ろうとしたが、弟はすでに海運会社などの社長になっており、私に是非ということになりました」と言っていた。
ただ、依頼人には、このこととは別に根本的に生活を変えざるを得ない事情を抱えていた。
仙台に赴任して間もなくクラブのホステスと親密になり、以来、その女性と半同棲のような生活を営んでいた。今回の調査で、マルヒの一方はこの女性「佐藤真理子」ということになる。東京に戻らなければ成らなくなった時、形だけ「どうする」と聞いたら、質問の意味が分からない。と反論され、当然のように依頼人に伴われ真理子も東京に来た。「暫くは銀座のクラブでアルバイト的にホステスをやっていたんですが、二人の将来を考えかねてより話し合っていた花屋を始めました」そして、僕が依頼人と会ったときは2店舗になり、社長を真理子にして法人も設立していた。
その真理子から唐突に「結婚してくれる人が見つかったから別れたい」という電話を、依頼人は帰国したばかりの成田空港で受けたという。-------
女心と秋の空。最近はこんな言葉を聞くこともなくなったが、一昔前は、変わりやすい女性をこのように表現した。実は僕もこのン十年の間数え切れないぐらい女性にふられた。勿論原因が僕自身にあることも多いが、そうでない場合もある。ただ、僕は非常に楽な性格で、そんな時でもくよくよ悩まないし、勿論相手を恨んだり、ましてや、追ったりしない。気持ちが変わった女を追ってもどうにかなるものでもない。むしろ、(運のない女だな僕を捨てて損するよ)なんて格好つけて今日まで生きてきた。