夫は出水聡。妻で依頼人は美穂子といった。夫は苗字からも想像できるように鹿児島県出身。その地方では由緒有る家柄(依頼人)らしい。マルヒ(被調査人)の、これまでの人生はまさに、順風満帆であった。大学病院をやめクリニックを開業するに当たり、実家から相当の資金提供があったうえに、すでに二人の子供もいたので、いつまでもアパート暮らしでは。ということになり、大田区田園調布に自宅を新築した。およそ100坪の敷地に瀟洒な2階建てが建ち、一度訪問したことがあったが、ダイニングで子供たちがバスケが出来、お風呂で水泳の練習がで来るほどの広さだった。
そんな、絵に描いたようなアットホームに微風が吹き始めたのは、前田恵子という看護婦が入ってきてからで、僕も、後に、実物を見たことがあるが、極めつけの美人だった。四国は香川県の出身。地元の高校を卒業後、東京の看護学校に入学。2~3の病院やクリニックに勤めたあと、出水の経営する美容整形クリニックに応募し、出水に即決で採用され、まもなく看護婦兼秘書のような立場で働いていたが、1年もしないうちに(婦長)に昇進、クリニック全般の采配を振るうようになった。
始めのうちは、帰宅した夫が「今度優秀な看護婦が入ってきてくれた。頭の回転が速く仕事も出来る」などと褒め称えるのを「あぁそう、良かったわね」と応じていたが、そのうち、夫の口から前田という看護婦の話題が聞かれなくなり、(もうやめたのかしら)と思っていた美穂子だったが、月に一回の保険請求や給与の支払いの時、クリニックに行くと彼女らしき看護婦が目に留まった。同性ながら息を呑むような美人である。ただ、院長の妻である自分に対する応対が気になった。他の看護婦や事務の者たちは、少し鬱陶しくなるぐらい話しかけるし、お世辞を言ったりするが、前田だけは(いらっしゃい)でもなければ、何をしに来たのか。と言った態度で、完全に無視された。
こうしたことはその後も続いて、美穂子はクリニックに行くのが苦痛になってきた。当時はクリニックも大盛況で看護婦も10人近くいて、そのほか、事務職員3名、渉外担当の男子職員も一人いて、これらの総括責任者として、夫の実姉が座っていた。美穂子と義姉は非常に仲良しで、クリニックの経営や(脱税)も、二人三脚で行ってきた。数ヶ月経った或る日、義姉が「美穂ちゃん、聡はちゃんと家に帰ってる?」と聞いてきた。実は美穂子のほうから義姉に聞いてみたいと思っていたので、その日、東京駅に近い喫茶店で待ち合わせした。義姉に聞かれるまでも無く、夫の様子は一変していた。まず、帰宅時間が遅くなり、朝方帰ってくることもしばしばであった。休日も、普段なら子供の勉強を見たりして、夜は、必ずと言ってよいほど都心のホテルで食事した。しかし、最近は何かと口実を設け外出し、そのまま帰ってこないこともあった。-------