クリニック 8

出水の行動は次第に大胆になり、自宅のリビングで前田に電話をかけ、次の休日の打ち合わせをする始末。夕食の片づけをしながら聞くともなく耳に入る夫の声は、最近自分と話すトーンとは全く違い幸福感あふれるものだった。

「とにかく変なの、前田と行くところは以前私と行ったところばかり、この間の札幌小樽もそうだし、その前の年は越前蟹を食べに福井に行ったし、今度は沖縄を計画してるみたい」と言って、依頼人は笑っている。妻子を連れて行った行楽地をなぞるように愛人と旅をする。偶然だろうと思うが愛人と過ごす徒然に妻や子供らのことを思い出さないのだろうか。自分ならどうするか。土地勘があって安心だからそうするだろうか。まあ、これから先僕にそんな幸運?は訪れないだろうけど。

やや変則的な調査はその後も続き、報告と今後の相談のため依頼人と頻繁に会った。しかし、会話の90パーセントは一般的な世間話で、彼女の愚痴めいたものに終始した。

或る時、「しゃくだから税務署に告発してあげようかしら」などと言うので、(そんなことはやめなさいよ)と、慌てて制止した事もある。良く、女は怖い。と言うが、可愛がって、充分な愛情をそそいでいるときは、この上もなく愛らしいが一たび敵にまわすと鬼にも蛇にもなる。特に、出水のような開業医は(お山の大将)である。周囲の人は皆(先生、先生)と、崇め奉り、使用人、中でも看護婦は絶対服従であろう。誰一人彼に逆らえないし、苦言を呈するものも居ない。まさに、唯我独尊の人生を送っている。

そんな中、調査は進みマルヒ(前田恵子)の病歴や、1年余り入院した病院も判明した。その後、同棲していた男の所在も分かり訪問した僕に、最初は怪訝そうにして警戒したが、自分を裏切って超セレブの開業医に走ったマルヒに対し、堰を切ったように話してくれた。いわゆる(可愛さ余って憎さ百倍)といったところだろう。彼の言うところによれば、マルヒは感情の起伏が激しく、何か気に入らないことがあると激昂し手がつけられなくなるらしい。

何時ものように依頼人と会って、そんな話をしている最中、四国に行っている調査員から新たな情報がもたらされた。--------



朝家を出ようとしたら激しい雨が降ってきた。慌てて傘を取りに帰ったが、幸い僕のうちは中央線の高架に近いためほとんど濡れずに駅まで行ける。ただ、今日は1時に中目黒まで行く用事があり、傘が必要だと思ったから取りに帰った次第。